「おかげ米」贈呈式
吉野川でつながる大和平野と水源地域の児童が自然体験や交流を通じて、水のつながりを実感し、地理、歴史、水源地と吉野川分水の役割を学ぶ事業を実施しています。
今年は当プロジェクトで収穫されたお米を川上村立かわかみ源流学園へ届けるだけでなく、水・雨を掌られるとされる丹生川上神社上社へも、水への感謝を込めてお届けします。
(画像は過去の様子です)
- 日時
令和7年12月4日(木曜日) 10時から
- 場所
かわかみ源流学園 5年生教室
(奈良県吉野郡川上村西河105-1)
- 贈呈
橿原市田中町「水土里の会」の農家 6名程度
- 受理
かわかみ源流学園5年生 児童7名 教員1名
- 内容
水のつながりプロジェクト(「おかげ米」贈呈式)
交流田で収穫された新米20kgの贈呈
おかげ米の稲わらを使ったしめ縄づくり
終了後、同会にて丹生川上神社上社(望月康麿宮司、川上村迫869-1)へおうかがいし、新米20kgをお届けします。
※かわかみ源流学園等への取材を希望される場合は、事前にお問い合わせをお願いいたします。
- 立ち会い
大和平野土地改良区、川上村水源地課
- 問い合わせ先
大和平野土地改良区
TEL0744-22-2052
担当:総務課 植野
(資料)
吉野川分水事業とは(大和平野土地改良区HPより)
奈良県の主要な水田地帯である大和平野は、年間降水量が極めて少なく、しかも大和平野を流れる大和川は、盆地部(約300平方キロメートル)に比較して流域が極めて小さい(約694平方キロメートル)ため、恒常的な用水不足に悩まされていた。このため大和平野では古代からため池の構築が盛んに行なわれ、その数は数千個にも及んでいる。また、地下水の利用も積極的に行なわれたほか、営農面でも田畑転換により用水の節約が企てられるなど種々の工夫がなされた。しかしながらその効果にも限界があり、用水不足を根本的に解消するには至らなかった。そこで、水量の豊富な吉野川(紀の川)からの分水を行なうことが、江戸時代からの夢であり悲願であった。
吉野川(紀の川)は、我が国でも最も雨量の多い本県南東部、三重県との県境付近の大台ヶ原にその源を発し、本県のほぼ中央を東西に流れ、本県ではその水は殆ど利用されることなく和歌山県へと流下していた。一方、下流の和歌山県では「母なる紀の川」の水として非常に大切に利用されて吉野川分水計画も理解を得ることが難しく、実現には至らなかった。しかし、和歌山県側もかんばつ時には紀の川の流量が減少するため取水が困難となり水不足を生じていた。
このような中で、ようやく戦後になって荒廃した国土の復興計画の一環として十津川・紀の川総合開発計画が持ち上がり、紀の川流域に大迫・津風呂・山田ダムの3ダムを、十津川流域(新宮川水系熊野川)に猿谷ダムを建設して、両県の農業用水・水道用水を確保する他、発電を行なうという総合開発計画の中で吉野川分水は実現する運びとなった。
水のつながりプロジェクトとは
紀伊半島大水害が起きた平成23年、安定的に吉野川の豊かな水が吉野川分水をとおして届くおかげで美味しいお米が収穫できることへの感謝の気持ちを伝えるため、大和平野土地改良区の組合員のみなさまが、吉野川分水の水源地域へ「おかげ米」を届けた。水源地域のひとつである川上村にも9tのお米を届けられた。
『川上宣言』を掲げ、人が暮らし続けることにより、森から生まれる水を守る「水源地の村」づくりに取り組む川上村にとって、「下流にはいつもこれいな水を流します」という川上村の思いが届いたことが大変嬉しい出来事であった。大和平野から森を守って水を守ってくれたという感謝の気持ちが川上村に届いた。
この「おかげ米」贈呈をきっかけに、大和平野と水源地域との間にさらなる友好関係を育もうと平成24年度から「水のつながりプロジェクト」がスタート。大和平野地域及び水源地域(川上村)の小学生がそれぞれの地域で見学・体験を行い、交流することで、水源地域と大和平野地域が吉野川分水で繋がっていることを感じて、地理、歴史、そして、水源地の役割を学習することを目的とし、活動している。
川上宣言
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一 私たち川上は
かけがえのない水がつくられる場に暮らすものとして、
下流にはいつもきれいな水を流します。
一 私たち川上は
自然と一体となった産業を育んで山と水を守り、都市にはない
豊かな生活を築きます。
一 私たち川上は
都市や平野部の人たちにも、川上の豊かな自然の価値にふれあってもらえるような
仕組みづくりに励みます。
一 私たち川上は
これから育つ子どもたちが、自然の生命の躍動にすなおに感動できるような
場をつくります。
一 私たち川上は、
川上における自然とのつきあいが、地球環境に対する人類の働きかけの、
すばらしい見本になるよう努めます。
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1996年8月1日に全国に「川上宣言」を発信。