水の歴史

水とのたたかい

大和平野に点在するため池「大和青垣」と呼ばれる美しい山々に囲まれた大和平野は、温和な気候に恵まれていたので早くから稲作農業が定着し、わが国古代文化発祥の地として栄えました。
やがて人口が増えてくると、この繁栄を支えていくためには、多くの水田が必要となり、その水田を営んでいくための水の確保が、人々の大きな課題となりました。

大和平野に水を運んでくれる大和川は、四方の山々に水源を持ついくつかの河川を集めて合流し、亀ノ瀬峡谷を経て河内平野へと流れています。
しかし、大和では、水源となる山地が浅いため水量はいたって乏しいものでした。
しかも、その流れは上流部は急で、中下流部はゆるやかなために土砂が堆積し、いわゆる天井川をなしています。
降雨量 が少ないことも重なって水は常に不足がちで、古代以来、農民たちは干害に泣かされ、連日雨が降ると逆に川が氾濫し、しばしば水害をこうむるという悪循環を繰り返してきました。
昔から言い伝えられてきた「大和豊年米食わず」とは、大和にちょうど良い量 の雨が降って豊作になった年は、他の地域では降り過ぎて凶作だったことを言いあらわしているのです。
人々は、川の水を有効に使うため川に堰をもうけ、多くのため池を築き、さらに地下水を利用するために井戸を掘って水を確保し、農業用水に、あるいは生活用水に利用してきました。
特にため池の数は多く、大和平野の中だけで5,000個余を数え、その築造の歴史は4~5世紀頃にまでさかのぼるといわれています。

ため池や堰の多くは、それを利用する村(大字)によって管理され、水を分けるためにきびしいきまりがつくられていました。雨の少ない時には水を取り合い、大雨の時には水をどこに流すかでもめ、水争いは絶えませんでした。

水をもとめて

奈良県には、大和川のほかに、北東部の大和高原地域を流れる淀川水系の宇陀川、南部のけわしい山岳地帯を流れる吉野川(紀の川)、熊野川水系の十津川(熊野川)・北山川などがあります。
これらの川は水量 が豊富で、特に南部の大台ヶ原を中心とする山岳地帯は、わが国有数の多雨地域ですが、ここから流れ出る水が県内で利用されることは少なく、おもに他府県の水源となっていました。

雨乞い踊りの様子を描いた絵馬長い間、水不足に苦しんできた大和平野の人々は、吉野川の水を引きこんで水不足を補おうと考えました。今から300年前、元禄時代のことです。
以来、吉野川あるいは宇陀川の水を大和平野に導こうという計画は何度もたてられ、あるときは測量 まで、またあるときは工事の着工にまでこぎつけましたが、いずれも実現にはいたりませんでした。
多額の費用がかかることや、下流の人々の反対にあったことなどがおもな原因ですが、今日では、想像もできない大がかりな土木工事であったことがうかがえます。


夢の実現

下渕頭首工昭和22年、戦後の荒れた国土を復興するために、国は食糧増産と資源開発を目的とした総合開発計画をたて、そのひとつに「十津川・紀の川総合開発事業」をとりあげました。
吉野川上流に津風呂ダム・大迫ダムを、十津川に猿谷ダムを建設し、十津川から吉野川へ、吉野川から大和平野へと導水トンネルを貫いて水を導き、農業用水・水道用水として利用しようとする計画です。

水利権の問題では、下流の和歌山県と何度も協議を重ねた結果、より有効な水利用のためには、ひとつの県をこえた協力が必要であるとの理解を得ることができ、昭和31年7月26日、長年の夢であった吉野川の水が大和平野に流れこんだのです。

一方、宇陀川については、淀川流域の洪水を防ぎ、多目的な水利用をおこなうために「木津川上流総合開発計画」がたてられました。
県は政府に対して、室生ダムの建設を強く要請しつづけた結果 、昭和29年、宇陀川の水を大和平野に引きこむ見通しを得、調査を開始しました。

おいしい水を大和へ

大和平野の水不足は、農業用水だけでなく飲料水についても例外ではありませんでした。
大和川は、水量が乏しく水源とすることができないため、ほとんどの地域が地下水にたよってきました。
しかし、その地下水は水質に恵まれず、特に「かなけみず」といわれるように、鉄・マンガンの含有量 が多く、飲料水として利用するために苦心してきました。
また、水量も不安定なものでした。

昭和30年代に入り、急激な人口増加とともに、生活環境の向上によって水の使用量 も著しく増え、さらに水道の普及、産業の近代化、工場の進出などにより水道用水の需要は、年々伸びつづけました。

このような環境のもとで、水道事業を経営する市町村が個々に水源を確保していくことは、次第に難しくなってきました。
新しい水源を開発しようにも、市町村の財政力や水利権の取得などの面 で問題もあり、不可能な状態でした。

昭和39年、奈良県は深刻な干ばつに襲われ、断水・時間給水を余儀なくされたことをきっかけに、根本的な水源確保の対策を望む声が急速に高まってきました。
すでに、吉野川の水は大和平野に流れこんでいましたし、宇陀川の水を大和平野へ引きこむ見通 しもついていました。
県はこれら二つの水源をもとに、大和平野の25市町村に対し、広域的な県営の水道事業によって、長期かつ安定した良質の用水供給を行う方針を決定しました。