奈良のむかしばなし

 





 「水の神」を祀る北葛城郡河合町の廣(ひろ)瀬(せ)神社に対し、「風の神」を祀る生駒郡三郷町の龍田大社。
 両社とも創建は古い。遠く崇(す)神(じん)天皇の時代、風水害、凶作、疫病を鎮め、五穀豊穣を祈って祀られたとされる。
 今回は、そんな由緒をもつ龍田大社に伝わるお話。
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 昔、元(げん)という大国が、わが国を攻め取ろうと大きな船団を率いて九州近くまで迫ってきた。困ったわが国は大きな石垣を海岸に造り、番人を置いた。
 いよいよ、大船の軍団が九州の玄界灘に姿を見せた。わが国の軍はいつ上陸するかと待ち構え、大きなハシゴや引っかけるクマデもたくさん用意した。だが、敵はなかなか上陸しない。
 わが国のあちこちの神社やお寺では、敵軍調(ちょう)伏(ぶく)の祈願が始まった。龍田大社でも、日夜、熱い祈祷が続けられた。
 すると、ある晩のこと、龍田大社の裏手からにわかに空が曇ってきた。天地が大鳴動し、恐ろしい黒雲の中を、大きな竜巻が天へ昇り始めた。
 やがて、それは大きな袋の玉となって舞い上がり、雲に乗って西の方へ飛んでいった。 
 九州では、元の国の大船が、すでに玄界灘まで攻めてきていた。さあ、大変である。
 ところが、不思議なことに、その船団の上で、龍田大社から飛んできた袋の玉が破れた。そして、それが大暴風雨となって敵の船団を吹き飛ばしてしまったのだ。
 こうして、わが国は国外からの攻撃を無事に逃れることができたということだ。
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 元(蒙(もう)古(こ))は、昔、中国にあった大国。皇帝フビライは朝鮮半島の高(こう)麗(らい)を征服し、日本にも大軍をもって二度も攻めてきた。だが、北条時宗に命じられた九州武士らの奮戦と暴風雨によってともに撃退。これは鎌倉時代の中ごろ、実際にあったできごとである。




龍田大社
 古来、歴代の朝廷からも深く信仰された神社。社伝によれば、第10代崇神天皇の時代、国内が凶作や疫病の流行に騒然としていたさなか、天皇の夢のお告げ通りにお社を造営すると、作物は豊作に、疫病は退散したと伝えられ、それが当社の創建とされている。


風(ふう)鎮(ちん)大(たい)祭(さい)(7月第1日曜日)
 午前の神事は、災害、疫病を鎮め、豊作を祈願する古式ゆかしい祝(のり)詞(と)の奏上に始まり、巫(み)女(こ)による龍田神楽(かぐら)、剣舞、居(い)合(あい)抜きなどが奉納される。午後は風神太鼓などがあり、夜は、圧巻の風神手筒花火の奉納。これは三河(愛知県)伝統の古い形の花火。宮司をはじめ、一般の参拝者も一緒に両手に筒を持って並び、次々と点火される。花火の火柱は約5m。火の粉が夏の夜空を勇壮に舞って、祭は最高潮に。

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