奈良県医療政策部 武末文男部長と奈良県立五條病院へき地医療支援部 中村部長との対談

全国的に、医師の診療科による偏在や地域偏在が叫ばれているなかで、奈良県においてもへき地等で勤務する医師が不足しています。

そこで、今回は県立五條病院やへき地診療所を研修場所として実施する「『総合医』のためのへき地医療研修プログラム」について、奈良県医療政策部の武末部長と研修責任者である県立五條病院へき地医療支援部の
中村部長から、奈良県の現状やご本人の経験を交えて、お話を伺いました。

(2010年2月 所属・役職は対談当時)

(左:武末部長  右:中村医師)

  • 奈良県の医師不足、へき地での医師の偏在や不足などの現状について、お聞かせください。
    武末:奈良県内の医師数は、約3,000人で全国平均並みです。しかし、県の都市部に多くの医師が集中しており、奈良県の四分の三の面積を占める山間部等のへき地の診療は、約30人(全体の1%)の医師で担っているわけです。医師の偏在と医師不足の双方が存在します。
  • へき地に医師がなかなか来ない理由はどうしてでしょうか。
    武末:へき地では、あらゆることを一人でやるというのがひとつの大きな理由ではないでしょうか。今の医学教育は臓器別の専門医を目指すことが目的になっています。それでは、へき地医療を担えるだけの幅広い知識と技術を身につけられません。また、このようなことを教える指導医もいないことも原因ですね。したがって、へき地に行きたくても行けない医師もいるでしょうし、技術のない医師に「行け」とは言えないという状況になっています。
  • へき地医療には、どういったポジティブな面があるんでしょうか。
    インタビュー写真1武末:都会は誰かが自分の代わりを務めてくれるわけですが、へき地は自分がいなければ医療自体が無くなってしまう場合もあるのです。へき地医療を担えるだけの最低限の能力を身に付けた上で赴任し、ある地域の全住民の健康と生命を任され、自分の責任のもとに医療を行えることは、強いやりがいと生きがいになるでしょう。また、これらの責任を果たした結果、一定水準以上の医療を、きちんと一人で行えるようになるということは、医師のキャリアとして重要なことではないでしょうか。
  • 中村先生は、奈良県で立ち上げた「『総合医』のためのへき地医療研修プログラム」の責任者でいらっしゃいますが、このプログラム策定の目的などについて、お聞かせください。
    中村:最近は患者さんの側に専門医志向が高まってきたこともあり、専門医を増やしていこうとする動きになっています。奈良県内の約3,000人の医師もほとんどが専門医のトレーニングしか受けてきていないでしょう。それが「自分の専門外の患者さんはお断り」という態度になるなど、現在の医療問題の原因の一つになっていると思います。そこで奈良県では患者の年齢、性別、症状、重症度に関係なく、「まず診る」という姿勢を持った「総合医」を育てていこうということになりました。日本を除く先進国には総合医が多くいます。奈良県が考える総合医とはへき地だけでなく、救急であっても、まず診て、そして解決策を提案できる医師のことです。これは臨床を志す医師としてのキャリアをスタートさせる場所としてへき地が最適な理由のひとつでもあります。
  • なぜ、へき地が最適なのですか。
    中村:奈良県のへき地診療所では1人または2人の医師で全ての診療を行うため、年齢、性別、重症度、時間帯に関わらず、「まず診る」という診療態度が必要になります。このため自分の専門分野に合致する患者さんのみを診るのではなく、患者さんの症状や状態によって必要とされる知識や技術を自ら身に付けることが要求されます。また、へき地に住みながら診療し、行政や住民と協力することで、へき地住民とともに地域を守る責任感と達成感が経験できます。
    武末:患者さんが、むずかしい治療のできる「神の手」を求めるのは当然ですが、病気は診断がつかないと、治療が始められません。奈良県は、自分の専門でなくても診断をつけられる総合力と、患者さんを取り巻く問題に、地域の中できちんと対応できる能力を備えた医師を養成することを目指しています。医療だけで患者さんが抱えている問題を解決できるとは考えていません。高齢者医療や生活習慣病の治療には、医療だけでなく、福祉や介護のことも知っておく必要があります。さらに、長い期間、治療をするので、患者さんの家族とのことや生活、仕事のことなども視野に入れて治療する必要があります。もちろん、総合医の養成だけで全ての問題を解決できるとは考えていません。優秀な専門医の養成も不可欠です。さらに、総合医と専門医との密接な協力が不可欠で、真の意味での理解や協力はそれぞれの仕事や立場を経験しないとできないものです。
  • 日本でも、「総合医」の重要性は指摘されるようになってきました。
    武末:1970年代から80年代にかけての時期がターニングポイントだったと思いますが、まだまだ世界との差はあります。日本では「命を救ってくれた医師」への評価が高く、「みたてを的確にした医師」が、評価されていないですから。病院の当直も、内科や外科が細分化されて、一人の医師の守備範囲が狭くなった。そのため、一人の当直医で対応できる患者が減り、救急の受け入れをできないことが多くなっています。医師の数は毎年4,000人も増えているのに、なぜ、医師が足りないのか。原因の一つは、一人の医師が治療できる対象範囲が狭くなっている。そのため、一人の患者の治療に必要な医師の数が増えている。これは医療技術の発達と高度化・専門化した日本の医療に突きつけられた課題と言えるでしょう。都会では救急を担う人がいない、田舎では全てを診ないといけないのに、その能力がある医師が少ない。特性は異なるものの、救急やへき地医療など、幅広く診ることのできる医師のニーズが、日本で高まっているのです。
  • 「まず診る」ことのできる医師の養成が必要なのですね。
    武末:まず診て、自分の能力の範囲内で治療し、必要に応じて適切な専門医に紹介することのできる医師ですね。奈良県の場合は面積の四分の三がへき地です。しかし、離島と違って、全てが陸続きです。道路がつながっている分、離島に比べて搬送も容易で、支援も受けやすいので、総合医となるための研修には、とても良い環境です。
    インタビュー写真2中村:病院の専門医に患者さんを紹介するときはお互いの医療が分かっていないと、意志の疎通ができません。専門医も「こんな患者を送ってくるなんて、診療所のレベルが低い」と言う前に、「よく送ってくれた。このような患者を5人送ってくれてはじめて、1人の命が助かる」と誉めるぐらいの気持ちでないといけません。そういった「医師のTPO」が分かる医師を育てていきたいですね。このプログラムで研修する医師はへき地に住み、へき地の診療所で診療するだけでなく、拠点病院や専門病院での研修を通して最新の知識や技術の習得を行いながら専門医の立場への理解を深めますので、それぞれの思いを共有できるようになります。
    武末:急性期医療では、医療が生活の100%の割合を占めますが、回復してくると医療の占める役割が少なくなり、暮らしの部分の割合が増えます。多くの生活習慣病は完治することなく、それを抱えて生活せざるを得なくなりますので、21世紀は暮らしの中でいかに病気に付き合っていくかを模索する時代になるでしょう。したがって、「悪くなる前に、なぜ早く病院に来なかったんだ」と、医療のことしか考えずに、怒ってしまう医師の視点は変える必要があります。そうせざるを得なかった暮らしや仕事のことを踏まえて、患者と向き合わないと、いい医療はできないと思います。へき地での医療を経験すると、現代の医療が「病院」という特殊な空間で、また「医師と患者」との特殊な人間関係の中で行われていることを感じます。そのため、地域で全人的な医療や包括的な医療を、いかにして実践していけるようにするのか、考えるようになりました。
  • 今回の「総合医」のためのへき地研修プログラムの中の、へき地診療所での研修内容について、教えてください。
    中村:へき地診療所で必要とされている医療、福祉、介護、予防活動を実際に行うことにより修得するOn the Job Trainingです。1回目のへき地診療所研修では指導にあたる先輩医師が勤めている複数医師診療体制の診療所に勤務して研修し、マンツーマン指導を受けます。2回目のへき地診療所研修では対象人口が少ない診療所に一人で勤務し、地域で働くことの大切さ、楽しさ、厳しさを実感しながら研修します。診療所研修中も県職員としての身分が継続します。学会への参加も可能ですし、代診による支援等もあります。また住居も準備されています。
  • ところで、お二人はなぜ医師を目指そうと思われたのですか。
    武末:私は福岡市内で生まれました。父が開業医でしたので、医療があって当たり前の環境で育ちました。病院に行けなくて困ることはまずなかったですね。ただ、小学校に入学した頃は問題児で、サラリーマンのように組織で働くことは無理だろうと言われていました(笑)。それが小学4年生のときに『ブラック・ジャック』を読んで感動し、「僕もできるかも」と思ったのです。子ども心にヒューマニズムを感じ、「お医者さんがいないへき地に行きたいな」と、医師を目指すようになりました。へき地での医療のためには外科的な手技が必要だと思い、卒業後は外科を選択しました。余談ですが、手塚治虫は奈良県立医科大学で博士号を取得したらしいですよ。今はそんなご縁も感じています(笑)。
    中村:私は人口約3,000人で、開業医が1人という曽爾村で育ちました。そこの神童だったわけです。もっとも、高校に進学すると、成績は後ろから数えた方が早くなってしまいましたが...(笑)。当時は、まだモータリゼーションのない時代で、病院も歯科も通院には苦労しましたね。特に、医師を目指そうとする家族環境ではありませんでしたが、地元の期待も大きかったがゆえに医学部へ進学することを考えました。2期生として自治医科大学に入学したときには「村のみんなを救ってやるんだ」という理想に燃えていましたよ。
  • 中村先生の最初の赴任地は十津川村だそうですが、当時の思い出をお聞かせくださいますか。
    中村:1979年に自治医科大学を卒業し、研修医と保健所での勤務を経て、1983年に十津川村国保小原診療所に着任しました。赴任当初の患者さんは1日に5、6人程度でしたが、村の診療所は都会の病院とはやはり違いましたね。患者さんからダイレクトに感謝の気持ちや時には苦情も届きます。365日24時間体制でしたが、シーズンにはマツタケが届いたり、イノシシの肉をいただいたりなどの触れ合いは醍醐味ですね。病院の中ですと、医師の能力だけで患者さんを治療するのだと思いがちですが、村の診療所では医師がまともな医療を行えるのは、駐在さんですとか、周囲の人のお蔭だなと感じるのです。医師の力だけでは医療ができないことがよく分かりますね。
  • 辛いことはなかったのですか。
    中村:万人に好かれることはありえないですし、私に合わない人は診療所に来ることができません。住民から「あなたは私には合わない」と言われたこともあります。そういった辛さは時間で乗り越えたような気がします。厳しいけど、実に楽しいですよ。この「実に楽しい」という気持ちを多くの人に味わっていただきたいと思っています。
  • 奥様もご一緒にいらしたのですか。
    中村:そうです。へき地の場合は家族の問題は大変と言われますね。若いうちに赴任しても、子どもが大きくなってくると進学の問題も出てきますしね。現在のところ、へき地には、入るのも出るのもハードルが高いですね。しかし、入るときも出るときも、ハードルを低くしなければいけないと思っています。それには後任を育てていかないといけませんので、やる気のある若い医師を育てることのできるプログラムを作っています。
  • 武末部長は離島にいらしたそうですね。
    武末:医師になって3年目から長崎県の離島の病院に勤務することになりました。そこは離島といえども、医療環境は恵まれていました。東西南北15キロ程度の島の中で、病院と診療所とで助け合う、温かい医療連携ネットワークがありました。上司が、本土に行って不在の場合は、私が一人で緊急手術の担当をすることもありました。その様なときでも、島の診療所の先生にずいぶん助けていただいたものです。ほとんどがOJT的な経験でしたね。インターネットが、まだ普及していない時代でしたし、治療法のガイドラインなどもありませんでした。多くのことは、自分で本を読んで勉強するしかなかったのです。後に厚生労働省に入り、遠隔医療やEBMの推進、そして、診療ガイドラインの作成に携わることになるのですが、離島での経験がずいぶん役に立ちました。
  • 忘れられない思い出はありますか。
    武末:離島の病院に、頭を打った女の子が運ばれてきて、CTを撮ったら外傷性硬膜下血腫を起こしていました。そこで本土の医療センターに搬送したかったのですが、天候が悪く、ヘリコプターが飛べなかったのです。そこで、海上保安庁の船で運ぶことになりましたが、海も荒れていたので、船内は激しい揺れのために脈も取れない状況でした。2時間かかって搬送しましたが、既に脳の三分の一に血腫が広がっており、まもなく亡くなりました。当時の私には脳外科的な知識も技術もありませんでしたが、どこかで何かすればよかったのではないかと、ずいぶん悩みました。都会であれば助かっていたはずの命が、離島だったゆえに助からなかった。つまり、自分の技術レベルが、地域の医療水準になってしまうことの重さ知りました。その時に経験したことは、今でも忘れていません。人や設備、病院に頼るだけでなく、自分自身の技術を磨かなければいけないと痛感したのです。
  • 奈良県での自治医科大学の卒業生のご活躍ぶりをお聞かせください。
    中村:奈良県内のへき地には16の公立診療所があり、そのうちの10カ所で8人の卒業生が義務年限内の勤務をしています。そして1カ所では義務年限を終了した卒業生が働いています。1人で診療所に赴任するという状況はほかの都道府県よりも厳しいので、奈良県は過酷ですねと言われることもあります。実際には、県立五條病院のへき地医療支援部等からのバックアップや、自治医大卒業医師同士のネットワークによる支援もありますが、1人だと危険なこともありますから、せめて2人体制にできればと考えているところです。有り難いことに、自治医大では在学中や研修医の間に「1人で赴任する」ことを前提に教育しますので、赴任してくる時点でかなりのことはできるようになっています。やはり準備が不十分なまま赴任してしまうと、不安ですしね。しかしながら、今回の奈良県のプログラムはその点を十分にカバーする内容になっています。さらなる知識や技術を身に付けたうえで、日常の診療をこなしていけるようになればやりがいのある仕事になりますよ。
  • これからへき地医療を目指す医師や総合医を目指す方にメッセージをお願いします。
    武末:「自分の一生をへき地に捧げます」というのは現実的には難しいので、奈良県では一連のキャリアパスとしてやっていこうと考えています。つまり、へき地に入りやすく、出やすくするというものです。医師も結婚し、子育てをするというライフサイクルがあります。子どもさんの教育の問題も大きいですが、幸いなことに奈良県の教育レベルは高く、全国有数の進学校も多いです。子どもさんの教育が大変な時期には平野部の病院に勤務し、またへき地に戻るというキャリアパスも可能です。そういった持続可能なプログラムを用意して、お待ちしています。
    中村:学生にへき地医療を講義しますと、興味を持ってもらえることが多いのですが、「ハードルが高いのでは」と尻込みされることも少なくありません。しかし、奈良県は1978年から30年以上にわたって、自治医大の卒業生を受け入れてきた土壌や実績がありますから、へき地の人たちも若い先生方を歓迎する雰囲気を持っています。もちろん、他大学の卒業生もバックアップして送り出せるシステムですから、安心してお越しください。十分に研修できる場所があって、そしてへき地の人たちもウェルカムで迎えてくれるというのは実に楽しいことですよ。
  • 「実に楽しい」というのはいい言葉ですね。
    中村:田舎の楽しさを感じ、助け合うことの大切さを学べるのは医師の醍醐味で、実に楽しいのです。特に自分の子どもが小さいうちは本当に楽しく、へき地での生活が病みつきになりますよ。(了)