本日はお忙しい中、ありがとうございます。
私、呼吸器・血液内科の須崎です。
女性研究者支援センターのコーディネーターをしています。
女性研究者支援センターは、平成23年度設立で、水野先生と私、そして産婦人科の吉田先生3人がコーディネーターということで、いろいろな事業・支援を行っています。
今日は、まだお子さんがいらっしゃらない研修医の先生もいますが、みなさん子育て中ということで、そのあたりのお話を中心にしていきたいと思います。
まず自己紹介をしていただき、1点目は妊娠中にどのようにして働かれていたのか、出産後の職場復帰はどのようにされたのかということ、2点目は仕事中にお子さんはどうされているのか、3点目にご自身で仕事と子育ての両立で工夫されていることを順番にお願いします。研修の先生方には自己紹介と、今日ここで聞きたいことなどをお願いしたいと思います。
では、さっそく私から。
私は呼吸器・血液内科で働いております。
1人目の子どもはもう15歳になりました。2人目の子どもは今年の12月で5歳になります。1人目の子どもを産んだ時、私は31歳でした。
妊娠中、どうやって働いたかというと、1人目の誕生日は6月7日ですが、5月31日まで働きました。特に自分の身体に不都合がなかったことと、その当時は遅れてはいけないという思いがあったからです。その時、済生会奈良病院にいました。もちろん産休育休の制度はありましたから取得できることはわかっていましたが、自分の意思で5月31日まで働きました。産まれた子どもも元気で。復帰したのが8月1日だったので、ほぼ産休だけ取り復帰しました。誰かに言われた訳ではなく、もう自分が復帰したかったですし、あまり中断させたくなかったということと、自分が若く、子どもも元気だったということに恵まれて、復帰しました。また私の両親もいますし、主人の母もいて、子育ての人手がいっぱいある環境にあったので、戻って普通に働いていました。
当直は済生会奈良病院の当時から、子どもが3歳になるまで免除でした。朝9時から18時まで普通に働きました。
ただ2人目の子どもは、もう自分が41歳になっていて、10ヵ月お腹の中に入れていただけでもつらかったので、産休も十分取りましたし、育休も1年取りました。
出産後の職場復帰、これはフルタイムですが勤務条件について交渉しました。『復帰にあたって、週に働く時間は40時間。40時間以上は無理です。』『夜間の当直はできません。土日は基本的に仕事に来れない。』ということで交渉しました。交渉の過程では色々つらいこともありましたが、それが私の最低限の条件でした。交渉事は非常に勇気が必要ですし、ストレスもあったのですが、子どもにちょっと病気があり、集団保育ができなくて保育園に預けられず、40時間勤務にしました。結果的には、もし子どもが元気であったとしても40時間働けばもうそれで十分ではなかったかと今は思っています。その後は週40時間をベースにフルタイムで働いています。
仕事中の子どもはどうしてるかということですが、1人目の子どもが2歳から5歳の間アメリカに行っていました。その時は誰も手伝ってくれる人がいませんので、保育所にお世話になりました。ずっと預けてました。朝8時、7時半くらいからです。ただ、夜は早いです。原則17時までで、19時まで預けていたらもう次の日から預かってもらえないので、毎日急いで16時59分に迎えに行ってました。
仕事と子育ての両立で工夫していることは何か、仕事に関しては、重い疾患の患者さんが多いので、治療にブレーキがかからないよう、カルテには自分の治療の方針を誰が見てもわかるように記載するように心掛けています。子どもの病気ですぐに帰らないといけない時もあるので、みなさんに迷惑をかけないようにしています。
患者さんに関わる臨床の事に関しては仕事をあとにずらさないよう、段取りよくするようにしています。
子育てに関しては、仕事でも家でも自分で決めないといけないことばかりです。毎日数多くの選択にさらされています。あんまり家の中で選択する事が多くなりすぎるとパニックになって上手く決められなくなるので、子どものことに関しては、健康と教育に時間をかけて自分で決め、他の細かいことは自分が信頼出来る人に素直に従います。選択の数を大事なものだけに絞り、家の中では大事なことだけ自分が担当するようにしています。
私は基礎を希望していたので、研修に行ってからではなく、いきなり大学院に行きました。主人も基礎でした。
子どもは早く欲しいということで、1人目を2年目か3年目くらいに産んでいます。基礎の教室は学生の教育が中心ということで、院生は実習の手伝いをするくらいで、研究も自分のペースでできたので、須崎先生も言われましたが、1人目の時は若くて平気だったので、当日まで仕事をしていました。
17時半くらいまで仕事をし、18時に入院、21時58分に子どもを産みました。2人目の時は、さすがにもう立ち仕事が多く2週間休み、学生の実習も代わってもらっていました。
出産後ですが、1人目が病気だとわかり、もう仕事は続けられないかなと覚悟したのですが、ここのなかよし保育園の園長先生が「任せなさい」と言ってくださったので、少し長めに休ませてもらい、7、8ヵ月くらいで復帰しました。毎月1回は受診と検査もあるので、仕事のペースは落ちましたが、大学院生での出産は私が初めてだったので、学生課や教授にも気を遣っていただけました。
仕事と子育ての両立ですが、臨床の先生は患者さんがいるので、自分がいなくなった時どうするかを考えないといけないと思いますが、私はとりあえず学生の実習や講義にあたっている時だけは『もし何かあったらお願い。』と親に電話をしておき、何かあれば電話してすぐに来てもらっていました。
水野先生からのアドバイス
子育て期間中、ちょっと時間がある時に基礎研究をして学位を取ってしまうのもいいですよ。
臨床に戻ってしまったあと、どこで学位取ろう・・・研究もしたいけどってオロオロしないといけないので。
平成15年卒、消化器外科の川口です。
入局するにあたって結婚・出産ということを全く考えず、手術をしたくて外科に入りました。
妊娠中、お腹が大きくなり始める6ヵ月くらいから手術室には入らないようにし、外来で診察をしていました。自分では若いし元気なので出来るとは言っても、何かあった時には手術中ですから、周りに迷惑をかけますので、他のできることをしていました。
育休は1年取りまして、土庫病院に入局したあと大学に戻り、当時の医局長のご理解をいただいて9時~17時の短時間勤務でした。患者さんを持たず手術だけついたり、自分ではできると思って患者さんを持とうとしたこともあったけれど、やはり迷惑をかけるし、家に帰ると子どもに集中しないといけないのですが、患者さんを持つとどうしても病院に
来たくなるので、割り切って外科のチームとして物事が進むよう雑用に徹し、その中から今後長く自分が続けていくために勉強をしていました。
2人目の妊娠の時も5ヵ月くらいから手術室には入らないようにしました。今年の1月に2人目を出産、育児休業を1年取って、来年1月中旬から復帰予定です。
仕事中の子どもですが、近所の保育園に預けて17時に迎えに行くようにしています。
病気の時は主人のお母さんに来てもらっています。
子育てと仕事の両立は、自分の仕事に関して言えばどちらも100%やるのは無理かなと思います。自分でできたと思っても、しわ寄せがいくのは子どもなので、長い目で見てもらって今は子育てに集中させてくださいとお願いしてます。
平成18年福島県立医科大学卒の長谷川です。
出産は国家試験の1週間後で、実質産休を1年取った形で同期と1年遅れで初期臨床研修に入りました。医師生活のスタート時点で子どもがいたので、最初は研修に打ち込めないことへの不安と、差をつけられていくという焦りを感じつつ何とかやっていたような感じです。子どもは小学校1年生、4歳、1歳の3人です。2人目の妊娠が臨床研修1年目の終わりにわかり、産休をとるまで順調だったので、35週までは仕事を続けていました。
2人目の時は研修の途中だったので焦り、産後6ヵ月で復帰し、同期と1年半遅れで初期研修を終えました。
仕事中の子どもですが、保育所は病院併設の託児所で20時まで預かってもらえたので、子どもへのしわ寄せはありましたが、私は19時、20時まで普通に預けていました。
入局した時はさすがに責任も違うということでしたが、福島もやはり田舎で医師が足りないのでとても手厚くしていただき、初期臨床研修の時は当直免除でした。その後、当直免除で祝日の日直を任される形で福島医大の腎臓内科で働いていました。入局して1年後に3人目の妊娠がわかり、出産後すぐ東日本大震災に遭い、私の実家がある奈良に来て、今はこちらの第1内科でお世話になっています。
仕事中の子どもですが、家の近所の保育所に2人目と3人目を預け、1人目は小学生の学童保育にいます。
工夫している事は、福島の時はとてもハードで、子どもを20時に迎えに行き寝かせるまで、私が1人でしていて大変だったので、今は外部に頼んだりして、なるべく自分たちの心の余裕と子どもに目を向ける余裕を作ろうと決めています。
平成19年卒の皮膚科の長谷川です。
妊娠がわかったのは奈良医大で研修医2年目の途中で、研修医ということもあって、あまり周りに研修中に妊娠したという人がいなくて、すごく肩身の狭い思いでした。自分では正直子どもが産まれることに関して喜べないまま過ごしていたので、ストレスもありました。つわりもひどく、研修医の時は吸収することがとても多い時期ですが、あまりできていなかったと反省しています。
出産後の復帰は生後4ヵ月の時で、妊娠がわかった時点で選択科目だけ残し、ある程度必修は取得しました。産休の間にどの科にいくかを絞り、産後には皮膚科にいこうと思っていました。半年で復帰し、最初は残っている研修期間を終わらせ、その後入局しました。
両立についてですが、入局した最初はすごく大事な時期なので、子どもに迷惑をかけたくない、でも仕事もやらなければということがあり、天秤に揺れていました。
1人目を産んで復帰した後の1年ほどは、子どもに重きを置くようにしていましたが、やはり最初のうちに病棟をしっかり持っておかないと、10年20年経って1からというのは、体力的・立場的にも難しいと考え、私は仕事をさせて欲しいと家族にお願いして昨年の1年間は仕事に集中し、今年4月から大学院に入学しました。去年1年、家族に負担をかけすぎたので、仕事に集中する時と余裕を持つ時を時期によって変え、これからはバランスよく働けたらと思います。
平成20年奈良医大卒の森岡です。
出産は研修2年目の9月でした。妊娠がわかったのは研修1年目の終わりくらいだったので、なるべく最初の方に必修の科を選び、復帰してから残りの必修の科と、入りたい科をあてさせてもらう形で研修を終えました。入局してからは休めないだろうと思い、研修期間の間に子どもが1歳半になるまで育休を取り、平成23年4月から復帰しました。研 修も終わり、平成24年1月から呼吸器内科に入局しました。
仕事中の子どもですが、最初は家の近くの保育園に預けていましたが、今はこちらのなかよし保育園でお世話になっています。
工夫していることは、帰ってから寝るまであまり時間がなく、子どもと過ごす時間が少なくなるので、起きている時間を一緒に過ごせるように、翌日の晩ご飯を夜のうちに作っています。あとは、なかなか平日に遅くまで仕事が出来ないので、当直の時間を利用してサマリーを書いたり、雑用にあてるようにしています。
平成20年卒業、放射線科の堀です。
妊娠がわかったのは研修医2年目の最後で、出産後3ヵ月目から復帰し、もともと画像が好きだったので、放射線科に入局しました。今2年目です。放射線科はルーティンによって朝8時から17時になれば帰れるので、朝から夜のご飯を作ってきた日は、自分の勉強をするときは残ったりと、自由な感じで、あまりこれといって悩みなくきています。
須崎先生
自分のペースでやることが、内科と比べたら可能だということですね。
仕事の量は多いけれど、リアルタイムでやらないといけないことでもなく、ちょっと自分で工夫できるということですね。
須崎先生
研修医の時に出産された先生もいらっしゃいますが、私自身は最初、医師になったときは技術者の面があるので、初期の時に数年きっちり研修をしないと医師としてやっていくのは難しいと思っていました。でも実際に森岡先生を見ていて、研修医で子どもができてもやっていけるのだと実感しました。
若い先生に「何歳で子ども産んだらいいですか?」と聞かれる時がありますが、今は自信をもって『いつでも自分の産みたい時に!』と言えます。ここにいる皆さんが証明してくれています。
研修医1年目の高木です。今、小児科で研修をしています。
1人1人のお話を聞いて、みなさんはすごいと思いました。小さいことを気にしていたらダメだなと思いました。
例えば私、産婦人科希望ですが、無理かなと思ったり、つまらないことで選択肢がどんどん少なくなっていくことが悩みです。
じゃあ、少し考えておきますか?
高木先生も好きなときに子どもを産み、好きな診療科を選ぶ!
条件設定はせず、自分のやりたいことをしてください。
研修医1年目の岡本愛です。今は須崎先生の第2内科で研修をしています。
私はまだ結婚もしていませんし、今は予定もないので遠い未来の話ですが、「医者になろう!」そう思って医学部に入れた時点で、せっかく入ったのだから男の子に負けたくないし、結婚するからとか自分には子どもがいるからという性別で遅れを取りたくないと思っていて、母親業に専念したいから少し時間のとれる科に行こうという選び方はしたくないので、結婚も諦めていました。私は医者として生きていこうと。
でもみなさんの話を聞いていると、母親業もし、医師としてのキャリアを積んでいくということも可能で、かっこいいなと思いました。
ありがとうございます。
毎日の生活は、あたふたしていて正直かっこ悪いですよ。
でも頑張っていることがかっこいいということですね。
かっこ悪くて、かっこいいということですよね。
須崎先生
産むことが出来るのは女性だけですが、医学部、大学も他の病院も、長時間労働が常態化してるという男女共通の問題を是正しないと、女性が活躍するという事は難しいと思います。医師の長時間労働を、また金銭の対価のない長時間労働の常態化をどうするか本当に考えないといけないと思います。それができないところが『女性医師支援』という言葉がまだ必要なところかなと思います。女性だけのこととか、子育てのことだけではなく、男性でも同様に思っている人もたくさん出てきているはずですから、これから大学なり病院がどう考えていくのかですね。
仕事ではないですが、ずっと子どもと2人だけで何日間も過ごすので、自分自身の時間が取れず、ママも無理、主婦も無理、仕事に戻りたいと思うことがありました。
どうやって解決しましたか?
子どもと私の事なので、出かけたりして気分転換をしていました。
川口先生と同じで、子どもと2人きりで過ごす時間が長くてつらかったです。
須崎先生
産休とか育休の期間をどう過ごすかということも大事なことかもしれないですね。
復帰が難しくても、週に1回、2回、また短期間だけでも、そこで自分の出来る仕事があれば息抜きにもなるし、復帰の準備にもなるということで、育休の間ずっと出てきてはいけないというのではなく、少し違った形があればいいと思います。
その人は自分にとってどんな役割を果たしましたか?
入局の当時、第2内科にだけ、女性で病院の部長をされている先輩がおり、その方が子どもを育てながら活躍されていたことが、大きな意味がありました。
希望していた腎臓内科に同じ保育園で子育てをされてる医員の女医さんがいて、その方が当直なしで土日に日直で対応し、保育園は19時に閉まるのでこの先生は子育て中だから帰るんだという基盤を作ってくださっていた。こちらに来てからは第1内科で私がロールモデルになれればと思います。
女性で子育てをされているとなると横谷先生です。医局で前例をつくってくださって、それを踏まえて私の状況も考えてもらえているので、とても心強いです。
私は、須崎先生です。お子さんを2人育てられて仕事に復帰されているという状況で、また女性医師の支援もされているので。
私の科では、先輩で子育てをされている方がいらっしゃらず、須崎先生を参考にさせていただいています。皮膚科は女性医師が多いのですが、出産・育児で辞めていくということが問題になっており、日本皮膚科学会でも女性医師について考える機会が設けられるようになりました。学会に参加したときに知り合った先生方の話を聞くことで日々の参考にしています。
誰かと笑って話すことです。患者さんも良くなって笑って話せるのもいいことですし、家族でくだらないことを言って笑っているのも元気になるということなので、楽しく過ごすことです。
患者さんの笑顔、保育園に迎えに行ったときの子どもの嬉しそうな笑顔、たまに子どもがくれる労いの手紙など、些細なことですがその1つ1つが活力になっています。
やはり子どもです。見えない力になっていると思います。
仕事と子育ての両立は大変ですが、子育てを経験することで人間的に優れた医師になれると思います。
ないかと、望むことがあれば教えてください。
カンファレンスが17時、18時から始まるので、出たくても出れない。できれば、「いつ帰ってもいいよ。」と言うのではなく、ちゃんと働けるように、みんなと同じ仕事量ができるよう、勤務時間内にカンファレンスをしてもらえればと思う。
できると思います。患者さんがいるからという理由がありますが、方法によっては可能かと思います。意識を変えることからですが。
男性医師も含め、長時間労働が解消されるのであれば、絶対取り組んで欲しいです。
カンファレンスの時間を早くすると、早く終わることができ、その後患者さんの診察に行けます。他の人にも利点は多いようなので、結局みんなが働きやすい環境になってくると思います。
子育ての間はその家庭の状況に応じて、男性の方にも参加できるよう目を向けたり、気を遣ってもらえればよかったと思います。
子どもが熱を出した場合でも対応してくれる保育園があれば安心できると思います。
辞めずに続けることを目標に!
辞めずに長い目でやっていく。自分のために育児はあるので。
マイペースで仕事も育児も楽しみながらしていくのがいいかと思います。
欲張りでいいと思います。40年医師を続けるなら、自分の行きたいところに進んで欲しいです。「結婚もしたい、育児もしたい、自分のしたいこともしたい。」と欲張りになってもいいと思います。もしつらくなっても、仕事を1番に選んだのであれば続けてけばいいですし、子どもは可愛いのでどんなにつらくても育てていけます。
何かあるごとに周りを気にしてしまうかもしれませんが、大事なのは自分の思いや家族のことです。バランスは大事ですが、自分のやりたいことを後悔のないようにすることが大切です。
医師を40年続けるのであれば、多少育児で遅れる時期もあるだろうけど、遠い長い目で見て追いつく時期があるということが、すごく参考になりました。これから後輩に伝えていきたいと思います。
もう医師になって21年になります。今までを振り返り、してきた仕事の1つ1つに何の意味があるのかわからないときもありました。この仕事が将来にどう繋がっていくのか、今でも私は自分の10年先は見えにくいですし、言えません。
でも自分がやるべきことを一所懸命やっていれば、その点が繋がり線になります。
前が見えない、苦しいと思うときこそ、自分の目の前にあるやるべきことを着実にこなしていくことが、次のステップに繋がるので、必ず後々の自分の仕事や生活を豊かにしてくれると信じて、続けていただきたいと思います。
ご挨拶
奈良県立医科大学女性研究者支援センターの取組みの一つに女性医師の増加があります。
そのためにはポジティブアクションによる積極的な女性の採用と勤務継続のための支援が必要です。
実際、どの職種でもそうですが、女性がキャリアを形成しプロとして自己を確立する時期は、妊娠・出産・育児の時期と重なっています。親の介護が重なることもあります。
そのため、これまで多くの能力ある女性医師が、勤務や研究活動を中止せざるを得ないようになっていました。
女性医師が活き活きと働き、仕事に、研究に、打ち込める環境は、男性にとっても誰にとっても良い労働環境であることは疑いありません。
そういう環境をつくるために、女性研究者の育児や介護等ライフイベントに際しての支援を当センターでは行っています。そして、その支援を附属病院の女性医員にも拡げようと計画しています。
そういう環境整備に加えて、忘れてならないのは、同じ状況にいる人たちのつながりです。人は孤立していては、支援を受けても、一人でライフイベントの大事な時を乗り切れないものです。現在、女性医師の数は病院全体としては増えたとはいえ、まだ医局ではひとりだけライフイベント中であるという場合が少なくありません。
困難な状況を説明をしなくても理解してくれる仲間がいることは、それだけで心強いものなのです。
今回、奈良県医師・看護師確保対策室で育児期の女性医師のネットワークつくりを目標とした“カフェJOYFULL”を企画して、第1回を奈良医大で実施していただいたことは、機を得た貴重な取り組みであったと思います。今後も、こういう企画を継続して実施していただければと思います。
最後に、奈良県医師・看護師確保対策室室長及川あずささん、係長金井壮夫さん、主査瓜生有美さんにお礼を申し上げます。
公立大学法人奈良県立医科大学
女性研究者支援センター マネージャー
特任教授 御輿 久美子