ままならぬ恋が行き交う 山の辺の道ルート
山の辺の道 天理ルート
山の辺の道 天理ルートマップ
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引手の山
引手の山
文庫1巻P153
ふすまじを ひきてのやまに いもをおきて やまじをいけば いけりともなし
衾道よ、引手の山中に妹をおいて山道をたどると、生きた心地もない。
愛する妻を亡くして悲しみに暮れる柿本人麻呂。引手の山に妻の亡骸を葬り、山の辺の道を弱々しく歩いて帰る。その気持ちはどんなにつらいものだっただろう。
山の辺の道を長岳寺の方角から北へ向かうと、視界が開け、龍王山が見えてくる。
その麓、山の辺の道沿いに、この歌の歌碑が立つ。壮観な山並みの風景を見て、悲哀に満ちた柿本人麻呂の思いに触れてみては。
ここから次のスポット・石上神宮までは少し距離があるので、柿本人麻呂の歌を口ずさみながら歩いていこう。情感豊かなので、繰り返し詠んでいると、暗唱できるようになるかも。
さやか先生の「ここに注目」

「衾道」とは、ここから少し北東へ進んだ「衾田陵」などがある衾田へと続く道のこと。そこを通り、引手の山へと歩いた柿本人麻呂。引手の山に墓があったのでしょうか。当時、死者の魂は、山にかえると考えられていたようです。
この歌は、長歌(巻2-210)と合わせて詠んでみてください。

  • 天理市中山町
  • 自由
柿本人麻呂
コラム 柿本人麻呂

『万葉集』の代表的歌人。
『万葉集』には、柿本人麻呂作の歌と『柿本人麻呂歌集』としての歌、合わせて約400もの歌が残る。
優れた歌人であり、『古今和歌集』では「歌聖」と称えられる人麻呂。しかし、その人物像や生涯は謎に包まれた部分が多い。
柿本人麻呂は、現在の天理市櫟本町を本拠地としていた、和爾(わに)氏の支流である柿本氏の出身。和爾下神社の参道脇には、人麻呂の遺骨を葬ったとされる歌塚が残る。
「歌聖」人麻呂の特徴として挙げられるのが、序詞の上手さ。
想像力が豊かで、比喩表現の使い方が巧みだ。人麻呂の出現以前の歌には見られなかった言葉や表現を用いて、人麻呂独自の枕詞や序詞を使っている(巻1-41「くしろ着く・答志」や巻1-36「御心(みこころ)を・吉野」など)。
なかでも、巻2-131の歌は、比喩表現が素晴らしい。
「美しい玉藻のようにゆらゆらと私に寄り添って寝た妻を置いて行かなければならない。旅路の多くの曲がり角ごとに幾度となく振り返って見るが、妻の里は遠く離れてしまった。高い山も越えてきた。私のことを恋しく思っている妻の家の門を見たい。靡(なび)け、この山々よ」。
山という絶対的に動かせないものに対して「靡け」と表現するあたりに、人麻呂の優れた才を見ることができるだろう。

石上神宮
石上神宮石上神宮
文庫1巻P278
おとめらが そでふるやまの みずかきの ひさしきときゆ おもいきわれは
神おとめ達が神を迎える袖を振る、布留山の社の瑞垣が年久しいように、長い月日をずっと恋いつづけて来たことだ。私は。
石上神宮は、布留山の麓に鎮座する日本最古の神社の一つ。常緑樹や杉に囲まれた境内は、どこか神さびた雰囲気を纒っている。
拝殿の後方には、神宮の中で最も神聖な霊域とされている「禁足地」がある。禁足地の周りを囲んでいる石製の垣根が「瑞垣」だ。 神代から続く社の瑞垣になぞらえ、それほど長い間、あなたのことを想っているとうたっている。少し大げさともいえるたとえだけど、気持ちの深さが伝わってくるようだ。
さやか先生の「ここに注目」

「袖を振る」とは、相手の魂を自分の身に寄せる動作で、愛の表現。「好きだ」というアピールです。ここでは、袖を「振る」と「布留(ふる)」をかけています。
禁足地には、祭神である神剣・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を祀る本殿があります。

文庫3巻P25
いそのかみ ふるのかんすぎ かんさびて こいをもわれは さらにするかも
石上の布留の神杉のように神さびていても、また私は恋をするのかなあ。
石上神宮の杉を見て、この歌を詠んでみる。
「年老いたらもう激しい恋はしないと思ってたけど、恋をしてしまったなあ」と。
恋する気持ちに年齢は関係ないんだと、あらためて思う。
いつまでも恋する気持ちを大切にしたい。
さやか先生の「ここに注目」

『古事記』や『日本書紀』にも記される石上神宮は、万葉人にとっても特別な社だったのでしょう。今の神杉と万葉人が見た神杉が同じかどうかはわかりませんが、年輪を重ねた木には、崇めたくなるパワーを感じます。

  • 天理市布留町384
  • 0743-62-0900
  • 境内自由
布留の高橋
布留の高橋
文庫3巻P133
いそのかみ ふるのたかはし たかだかに いもがまつらむ よそふけにける
石上の布留の高橋のように、心も高高と妻が待っているだろう夜は更けてしまったことだ。
石上神宮を北東へ少し歩くと、うっそうとした場所に「布留の高橋」と書かれた、橋桁の高い金属製の橋が架かっている。歌に詠まれた「高高」とした妻の心は、橋の高さにたとえられたものなのだろうか。歌が詠まれたときも今と同じように、ここには橋が架かっていたのかな。
さやか先生の「ここに注目」

当時ここに橋が架かっていたかどうかはわかりません。「高橋」は地名のことを指すという説もあります。
「高橋」と「高高」はかけ言葉。「妻はわくわくして待っているだろうに、すっかり夜が更けて遅くなってしまい、申し訳ないなぁ」という男性の気持ちをうたっているようです。

  • 天理市布留町
  • 自由
布留川
布留川
文庫3巻P136
わぎもこや あをわすらすな いそのかみ そでふるかわの たえんとおもえや
吾妹子よ私をお忘れになるな。石上の袖を降る布留川の水のごとく絶えようなどと、どうして思おうか。
山あいから天理市街地を流れ下る布留川。いにしえから流れるこの川になぞらえた愛の歌がある。
「どうか私を忘れないで。布留川の水が絶えることがないように、あなたのことがずっと変わらず好きだから」。
好きなのに離れなくちゃいけない悲しさは、現代の私たちにも通じる感覚だ。だけど、今のように電話もメールもなかった時代、しばらく会えなくなることは、今よりずっと辛いことだったのかもしれないな。
さやか先生の「ここに注目」

現代風に訳すと「私のこと忘れないでね。心変わりなんてしないから」。例えば、留学や単身赴任など期間限定で遠くへ行くときの気持ちと似ているかもしれません。

  • 天理市布留町
  • 自由
■歌の表記は『万葉集 全訳注原文付』(編者/中西進 発行/講談社)を参考にしました。
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