出会う 奈良県歴史文化資源データベース

飽波神社 あくなみじんじゃ

記入年月日 2017/03/22

飽波神社
所在地
奈良県生駒郡安堵町東安堵1379
区分
複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
聖徳太子(厩戸皇子)が創建したと伝わる、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする東安堵・西安堵の総鎮守社です。聖徳太子が芦垣宮に滞在中、夢で東方に五色の雲がたなびき霊剣が現れるのをみて、素盞嗚尊が牛頭天王(ごずてんのう)となって顕現したと思い、飽波宮に牛頭天王の祠をつくったのがはじまりとされています。また、この地は聖徳太子の飽波宮の跡にあたるとされています。「本殿」と同社に伝えられている「ナモデ踊り道具」は県指定文化財に指定されています。また境内には聖徳太子が腰を掛けたという伝承のある、通称「腰掛石」があります。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
当地と聖徳太子にかかわる由来を持つ由緒ある神社であり、氏神として地域の人びととの拠り所として長く祠られてきた事は貴重であるためです。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子
当資源と関連する文献史料
「安堵社神験記」(『安堵町史』史料編下巻に掲載)、「大和志」、『安堵町史』
当資源と関連する伝承
聖徳太子に関わる伝承地です。飽波神社の前を「筋違道」とも呼ばれる道(太子道)が通っています。この道を聖徳太子が居住していた斑鳩宮から飛鳥まで愛馬の黒駒で通ったとされています。飽波神社では毎年10月におこなわれる秋祭りの宵宮(10月の第4土曜日)において、なもで踊りが奉納されます。本来は雨乞い祈願が成就した場合に踊る満願踊りとして踊られていたものです。長らく踊られていなかったものを、当時の資料に新たな曲と所作を加えて復活し現在に伝えています。
飽波神社の使いはスズメで、昔からスズメを取って食べてはいけないといわれています。鳥居に掲げられた額は人間国宝富本憲吉の筆によるものです。 
他地域の関連する歴史文化資源
太子の腰掛石は、安堵町のほかに三宅町にも伝承地が残っています。
問い合わせ先
安堵町歴史民俗資料館
電話番号
0743-57-5090

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。