奈良偉人伝
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奈良県を舞台に活躍した歴史上の偉人達のページです。
偉大な業績はもちろんのこと、知られざるエピソードについてもご紹介します。
歴史の教科書には記されていない偉人たちの魅力に迫ります。
天武天皇は即位前の名を大海人皇子(おおあまのみこ)といい、父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇です。日本古代最大の戦乱である壬申の乱で大友皇子を破り、飛鳥浄御原宮で即位しました。即位後は、八色の姓の制定や国史の編纂などにより律令制を整備しました。
持統天皇は即位前の名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といい、父は大化の改新を実行した中大兄皇子です。13歳のときに大海人皇子(中大兄皇子の弟)の妃となり、壬申の乱(672年)を経て大海人皇子が即位すると(天武天皇)、その皇后に立てられました。天武天皇の崩御後しばらくして即位し、飛鳥浄御原令の実施徹底をはかり、藤原京を造営して新しい都としました。
不比等 ― 比べる者がいないほど優れている。『日本書紀』や『続日本紀』に、このような名で登場する藤原不比等は、658年、現在の明日香村で中臣鎌足(後の藤原鎌足)の次男として生まれました。名については、当時は「史」(ふひと)という漢字をあてていましたが、後世では「不比等」とされています。その名のとおり、古代日本の立役者として類い稀な辣腕ぶりを発揮し、大宝律令の立案や平城京遷都などを尽力しました。
行基は668年、和泉国大鳥郡(現在の大阪府堺市)で生まれました。15歳で出家したのち、仏道修行を経て、民間布教や社会事業に尽力します。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺の大仏造立に奔走、ついには、日本最初の大僧正の位を授けられました。
太安万侶は、現存する日本最古の歴史書である『古事記』を編纂した人物です。平城遷都を行った元明天皇の時代に、文官として平城京左京(現奈良市)に住んでいました。長年、その実在を疑問視する見解もありましたが、昭和54 年に奈良市此瀬町にて墓が発見され、実在の人物であることが明らかになりました。