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木造達磨坐像(所在:達磨寺) もくぞうだるまざぞう

記入年月日 2016/07/13

木造達磨坐像
所在地
奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号
区分
彫刻 | 神像・仏像
指定内容
国指定重要文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 明治42年(1909年)9月21日付けで重要文化財に指定されました。像高88.0cm、寄木造。袈裟を深くまとって膝上で定印を結んでいます。面長な顔で両目を大きく見開き、閉じた唇から前歯2本を出す表情が個性的です。像底には朱書による銘文があり、本像が永享2年(1430年)に室町将軍・足利義教の命によって、椿井仏師の集慶が造像したものであることがわかります。また、本像は達磨寺の室町復興期に造られたもので、銘文には住持として尽力した南峯祖能の名前も見えます。銘文によれば、彩色は画僧・周文が担当したとされており、像には眉・髭・胸毛などが細かく描かれています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 王寺町に4件ある国指定重要文化財のうちの1件で、聖徳太子と達磨大師が出会う飢人伝説にもとづき、達磨寺の本尊として造像されています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
 『日本書紀』推古天皇21年(613年)12月条に、聖徳太子が飢人と出会い、助け、埋葬したところ、その飢人の遺体が消えてなくなったとされる飢人伝説があります。のちに飢人が達磨大師の化身とされて達磨寺が開基されました。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
 達磨。インドに生まれ中国で禅を広めました。聖徳太子の前世であるという天台二祖・慧思禅師と関わりがあり、ともに日本で仏教を広めようと言って、達磨が東方へ去ったという説話があります。
当資源と関連する文献史料
 天明7年(1787年)『都名所図会拾遺』に円福寺の達磨像伝承が記載されています。
当資源と関連する伝承
 京都府・円福寺の達磨像は、もと王寺の達磨寺に安置されていたものであると伝承されています。
他地域の関連する歴史文化資源
 京都府・円福寺に木造達磨大師坐像(国指定重要文化財)があります。
問い合わせ先
王寺町 地域整備部 地域交流課 文化資源活用係
電話番号
0745-72-6565

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