出会う 奈良県歴史文化資源データベース

熊野参詣道小辺路 くまのさんけいみちこへち

記入年月日 2016/06/27

果無峠(果無集落)
三浦峠(防風林)
伯母子峠(山頂)
所在地
奈良県吉野郡十津川村
区分
古道・古街道 | 古道・古街道など
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている熊野参詣道小辺路は、真言密教の総本山「高野山」と熊野三山の一つ「熊野本宮」という二大聖地を最短距離で結ぶ参詣道で、熊野本宮から高野山へ向かう場合は「高野道」とも呼ばれています。
 高野山から、伯母子峠・三浦峠・果無峠と1000m級の峠を3つ越えて熊野本宮へと至る全長約72kmのハードなルートですが、石仏や地蔵、苔むした石畳、茶屋跡や屋敷跡等、昔の古道の雰囲気を数多く残しています。
 また、熊野から高野山を経て大阪へと向かう最短ルートであったことから、参詣者と共に多くの商人たちが行き来した生活のためのルートでもありました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
熊野参詣道小辺路は、道自体の歴史的・文化的な背景による価値も当然のことながら、地元村民にとっては現在の国道が整備されるまでは、高野山を経て大阪に出たり、熊野へ出るための重要な幹線道でもあり、商人の往来も盛んだったといわれています。
また、山間部に車道が整備されるまでは、通勤・通学路としても利用されるなど生活の一部であり、現在でも、林業に携わる人々が、小辺路を歩いて山の作業場に入ることもあります。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
○大塔宮護良親王:小辺路が通る三浦峠のふもと、三浦集落に身を潜めていたといわれています。
当資源と関連する文献史料
①清良記【天正元年(1573年)】      ②熊野案内記【天和3年(1683年)】
③曾良旅日記【元禄4年(1691年)】     ④大和志【享保21年(1736年)】
⑤熊野めぐり【元文4年(1739年)】     ⑥三熊野参詣道中日記【延享4年(1747年)】
⑦西国順拝風土記【寛延元年(1748年)】  ⑧熊野詣紀行【宝歴5年(1755年)】
⑨熊野行道中記【明治12年(1879年)】
当資源と関連する伝承
○明治の大水害及び北海道(現:新十津川町)への移住
 明治22年、十津川村を襲った大水害で多くの犠牲者や甚大な被害が生じました。
 住む家や田畑を失った村民は、北海道へ新天地を求めて移住を決意しました(600戸、2,691名)。
 その際、神戸から北海道へ向かう船に乗るために小辺路を通ったのに約半数、高野山から大阪~神戸と汽車で移動したといわれています。また、伯母子峠山頂では「これで故郷(十津川村)も見納め」と、多くの村民が涙を流したそうです。 
他地域の関連する歴史文化資源
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」 
 ・霊場【吉野大峯、高野山、熊野三山】
 ・参詣道(修験道)【熊野参詣道中辺路、大辺路、伊勢路、高野山町石道、大峯奥駈道】
問い合わせ先
十津川村 企画観光課
電話番号
0746-62-0004

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