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内山永久寺跡 うちやまえいきゅうじあと

記入年月日 2018/08/09

現地に設置されている解説と絵図
内山永久寺の絵図
内山永久寺の石碑
所在地
天理市杣之内町
区分
歴史資料 | 文書・書籍・絵図・地図など
指定内容
未指定

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
奈良盆地の東部の山麓に築かれた内山永久寺は、平安時代末期の永久2年(1114年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺の僧頼実が創建したと伝えられる真言宗の寺院です。創建から鎌倉・室町時代を通じて伽藍や寺域を整備し、江戸時代には大小50以上の坊・院を数える大寺院へと発達します。また延元元年(1336年)には、後醍醐天皇が吉野遷幸の際に永久寺に立ち寄ったとされ、現地には茅御所跡の石碑が残されています。かつて丹波市へ通じる参道には石畳と丁石が整備され、参拝者の往来も絶えることがなかったといわれる大寺院だったのですが、明治維新になって廃仏毀釈の影響を受け、内山永久寺は徹底的に伽藍や寺院が破壊され、今は境内の庭園であった池だけが残り当時の面影を伝えています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
内山永久寺は、尾根筋と谷筋を伴う山麓の地形を活用して伽藍を形成し、阿弥陀如来坐像を本尊とした本堂、十一面観音像を安置した観音堂、大型の八角多宝塔、高野山金剛峯寺をモデルにした弘法大師を祀る御影堂、真言密教の根本道場である真言堂、広大な庭園の本堂池など大規模に伽藍を築き、周辺には多数の坊・院が展開しました。そうした大寺院跡の地形が今も耕作地として存在し、生活の場として利用されています。周辺の町には、金剛乗院扁額や永久寺軒丸瓦、移築された建物など遺品が残り、地域の人々に伝わる幻の寺院です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
記紀の記載から山の辺の道の存在が知られています。現在の山の辺の道は観光道として活用されているもので、古代から続く道ではありませんが、内山永久寺跡を東海自然歩道(山の辺の道)が通っています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
鳥羽天皇の勅願で平安時代末期に創建され、中世には後醍醐天皇が立ち寄っています。近世初頭には、豊臣秀吉から寺領九七一石が与えられ、法隆寺の一千石に匹敵する繁栄を迎えます。また若き頃の松尾芭蕉が訪れ、永久寺の素晴らしい桜を歌っています。優れた仏像では、仏師快慶作の不動明王坐像が京都府の正寿院所蔵品として奈良国立博物館に保管されています。また、近世末期の勤皇派の絵師冷泉為恭が一時期内山永久寺に身を寄せていました。
当資源と関連する文献史料
創建に関する重要資料として東京国立博物館所蔵の「内山寺置文」、石川武美記念図書館(旧お茶の水図書館)所蔵の「内山之記」、その他「内山永久寺之縁起」などがあります。
当資源と関連する伝承
国宝に指定されている石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿は、もと鎮守住吉社の拝殿として内山永久寺伽藍が建ち並ぶ本堂北側に存在した建造物で、大正時代に内山永久寺跡から石上神宮に移築したものです。割拝殿に唐破風を供えた檜皮葺建物で、保延3年(1137年)建立といわれています。
他地域の関連する歴史文化資源
内山永久寺の真言堂にあった国宝密教両部大経感得図は、藤田美術館(大阪府)が所蔵、同じく真言堂の障子絵と伝えられる出光美術館(東京都)が所蔵する真言八祖行状図、同じく真言堂の由来が指摘されている四天王像を描いた仏画がボストン美術館に存在します。また永久寺旧蔵とされる持国天立像、多聞天立像、聖観音菩薩立像が東大寺に、不動明王と八大童子像が世田谷山観音寺(東京都)に所蔵され、他にも多数の遺品が各地に存在しています。
問い合わせ先
天理市教育委員会事務局文化財課
電話番号
0743-65-5720

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