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東の平田家(旧旅籠) ひがしのひらたけ(きゅうはたご)

記入年月日 2017/09/28

八木札の辻 東の平田家(旧旅籠)
八木札の辻 下ツ道(北から)
八木札の辻 横大路(西から)
所在地
橿原市北八木町2丁目1-1
区分
建造物 | その他(近世以前)
指定内容
橿原市指定文化財・日本遺産

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
東の平田家(旧旅籠)は、18世紀後半から19世紀前半の間に建てられた、江戸時代の旅籠の風情を伝える建物です。古代の「下ツ道」と「横大路」の交差点に由来する長い歴史を持つ「八木札の辻」を挟んで、西の平田家と東の平田家が向かい合って現存し、江戸時代に描かれた八木のにぎわいある情景をよくとどめています。特に東の平田家は、街道に面した2階に手摺りを回し、街道の往来を眼下に見下ろす江戸時代の宿屋のたたずまいをよく残しています。東の平田家は長い伝統を有する主要街道に面した貴重な建造物として平成22年(2010年)6月25日に橿原市指定文化財となり、平成27年(2015年)には横大路と下ツ道が日本遺産に認定、平成29年(2017年)には前述の二道および東の平田家を含む八木札の辻が日本遺産に認定されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
八木札の辻周辺は、後に「中街道」と名を変えて大和の主要道路となった「下ツ道」と、江戸時代にはお伊勢参りの参詣路である「伊勢本街道」につながる「横大路」とが交わる、大和における交通の要衝でした。八木の街は大いに栄え、東の平田家以外にも江戸時代後期から末期建築の「河合家住宅」(主屋ほか6棟)、明治から大正期建築の「河合源七郎家住宅」(主屋ほか6棟)といった、国登録文化財の建造物が集中しています。 現在も多くの人々が往来する交流拠点であり、東の平田家は八木の繁栄と札の辻のにぎわいを象徴する旅籠の風情が親しまれています。今後も橿原市の生きた歴史教材として、また日本遺産「日本国創成のとき~飛鳥を翔た女性たち~」と「1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~」の構成文化財としての活用が求められています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』によれば、推古21年(613年)11月条の難波から京に至る大道(横大路)を整備する記事や、天武元年(672年)7月条の壬申の乱時に上・中・下の三道に軍を配置する記事があるなど、下ツ道・横大路ともに主要官道として機能し、八木札の辻の交通の要衝としての歴史が古代にさかのぼることを裏付けています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
松尾芭蕉:江戸時代のもっとも著名な俳人で、『笈の小文』によれば八木へ来泊、ここで詠んだとされる「草臥て宿かる比や藤の花」の歌碑が建立されています。
本居宣長:江戸時代の儒学者で多くの著書・紀行文を執筆、『菅笠日記』では八木を来訪しました。
谷三山:頼山陽・吉田松陰などとも交流があった八木出身の幕末の儒学者で、高取藩の学術師範。
当資源と関連する文献史料
『大阪浪速講 伊勢道中記御定宿附(おおさかなにわこういせどうちゅうきおさだめやどふ)』(平田家文書)、『西国三十三所名所図会』の『八木札街』など
他地域の関連する歴史文化資源
竹内街道~竹内峠(大阪府堺市~奈良県葛城市)、大道旧山本家住宅(大阪府太子町)、専立寺・寺内町(大和高田市)、今井町(橿原市)など、日本遺産「1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~」構成文化財(大阪府・奈良県) 伊勢本街道(歴史の道百選) 中垣内~飼坂峠(桜井市~三重県津市美杉)
問い合わせ先
橿原市役所 魅力創造部 世界遺産・文化資産活用課
電話番号
0744-21-1114

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