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纒向遺跡 まきむくいせき

記入年月日 2017/05/12

纒向遺跡全景(北西より)
纒向遺跡大型建物跡
木製仮面
所在地
桜井市辻・太田
区分
遺跡 | 集落跡
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
奈良盆地東南部に位置する古墳時代前期を中心とする時期の大規模集落遺跡です。最盛期である3世紀代の集落域は東西約2㎞、南北約1.5㎞の範囲におよびます。集落構造については未解明な部分が多いですが、遺跡内では関東~九州地方よりもたらされたと考えられる外来系土器が多く出土することから、日本列島の広範囲との交流があったことがうかがわれます。また最初期の大型前方後円墳が複数築造され、その後約350年にわたって列島で盛行する前方後円墳祭祀が、この地において創出されたと推定されます。このように纒向遺跡は他の集落遺跡にみられないような特徴を有しており、3世紀代の日本列島における極めて重要な集落が存在したと考えられています。木製仮面など多様な祭祀遺物・遺構の存在についても纒向遺跡の特徴の一つに挙げられ、また近年の発掘調査では、遺跡の中央部において居館域である可能性を持つ遺構が確認されるなど、集落構造に関する新知見が得られています。 こうした遺跡の内容から、纒向遺跡は日本列島最初の「都市」、あるいは「魏志倭人伝」の邪馬台国の最有力候補地、とする考えも存在します。全国的にも注目度が高く、国家形成期の日本列島を考える上で欠くことのできない遺跡となっています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
纒向遺跡は、「桜井市総合計画」はもとより、近年では平成27年10月に策定された桜井市まち・ひと・しごと創生総合戦略まで、市のありとあらゆる計画に記述があり、市のスローガンである「観光・産業創造都市」のシンボルとして期待されています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』の「纒向珠城宮」「纒向日代宮」、『古事記』の「師木玉垣宮」「纒向日代宮」は、纒向遺跡に存在した大王の宮であると考えられます。万葉集にも「巻向」のほか、纒向遺跡一帯の地名が詠みこまれた歌が多数存在しており、纒向遺跡の集落が衰退した後の奈良時代においても纒向が重要な地域であったことがうかがわれます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
纒向遺跡を邪馬台国の最有力候補地とする考えは根強く存在します。女王卑弥呼は「魏志倭人伝」の記述から、祭祀面のみならず政治・外交面でも優れた能力を持つ人物であったと考えられます。垂仁・景行天皇(大王)は珠城宮・日代宮を営んだとされる大王であり、景行はその子である日本武尊とともに蝦夷・熊襲征伐の事績が記紀に伝えられています。「巻向」に関わる万葉歌を複数詠んだ柿本人麻呂は、当代随一の歌人として知られています。
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』『古事記』には宮の所在地として「纒向」の地名がみられます。中国の『三国志』「魏志倭人伝」には、纒向遺跡が所在地の最有力候補地となっている邪馬台国に関する記述があります。
当資源と関連する伝承
遺跡内には様々な伝承地があり、「纒向珠城宮跡」「纒向日代宮跡」のほか、小字柳ノ元に「柿本人麿屋敷跡」の伝承を示す石碑が建てられています。また遺跡内に存在する箸墓古墳の築造にまつわる伝承が『日本書紀』にみられます。
他地域の関連する歴史文化資源
この地域で前方後円墳祭祀が創出される過程においては、岡山県の楯築墳丘墓に代表される西日本各地の弥生時代墳丘墓の諸要素が採り入れられています。また出土遺物の中には列島各地や中国・朝鮮半島よりもたらされたとされるものが存在しており、3世紀代の各地の集落遺跡との関連性が考えられます。
問い合わせ先
桜井市教育委員会事務局 文化財課 調査研究係
電話番号
0744-45-0590

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