出会う 奈良県歴史文化資源データベース

西安寺跡 さいあんじあと

記入年月日 2021/08/27

塔跡
塔基壇上の礎石列
西安寺跡(舟戸神社)
所在地
奈良県北葛城郡王寺町舟戸2丁目4189番
区分
遺跡 | 社寺跡又は旧境内
指定内容
県指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
西安寺跡は、飛鳥時代に創建されたと考えられている寺院跡で、聖徳太子が建立した46か寺の一つに数えられています。舟戸神社の境内に西安寺跡があることは昭和の初めから知られていましたが、建物の遺構はわからないままでした。こうしたなか、平成26年度(2014年度)の発掘調査で初めて塔跡の遺構を確認し、平成29年度(2017年度)には柱を支えた礎石や乱石積基壇が良好な状態で残っていることが明らかになり、その大きさを復元すれば塔の建物は6.75m四方、基壇は13.35m四方で、法隆寺五重塔と同じくらいであったこともわかりました。また、平成30年度(2018年度)・令和元年度(2019年度)の調査では、塔の北側で東西14.1m、南北12.2mの大きさに復元できる基壇があって、そこに桁行5間、梁行4間の金堂が南向きに建っていたことがわかり、東回廊の跡も確認できました。さらに金堂の北側では、7世紀後半頃に広範囲にわたって版築のように丁寧に整地している様子が確認でき、木製の灯籠ではないかと考えられる柱根も見つかりました。
これまでの調査成果とも合わせると、西安寺跡は飛鳥時代の7世紀末から8世紀初頭頃に南向きの四天王寺式伽藍配置で創建されたことがうかがえます。今後も寺院の伽藍や創建・廃絶年代を知るための発掘調査が続けられます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
舟戸神社は、地域の氏社として今なお信仰され、境内・例祭ともに氏子の人々によって、大切に守られてきました。西安寺跡の遺構が良好に残っていたのは、そのおかげであるといえます。これまでの発掘調査で確認された礎石や基壇については、安全のために埋め戻しているので見ることはできませんが、発掘調査で出土した瓦などの遺物は、JR・近鉄王寺駅前にある王寺町地域交流センター(リーベル王寺東館5F)で展示されているので見ることができます(展示替えの場合もあるのでお問い合わせください)。また、大切に守ってきた地域の神社に、それ以前の歴史が加わることは地域の人にとっても興味深いものと受け止められています。現在は、西安寺跡の遺跡を見ることはできませんが、発掘調査を進めて国史跡指定を受け、史跡整備を行っていきたいと考えています。また、西安寺跡は、古来から河内と大和を繋ぐ交通路である大和川の南岸にあり、聖徳太子の御遺体を斑鳩から磯長(大阪府太子町叡福寺)へお送りした「太子葬送の道」にもほど近いところに営まれています。聖徳太子が建立した46か寺のひとつと伝わり、出土する軒丸瓦の文様も法隆寺若草伽藍のものと同じ范を使ってつくられたものがあるほか、斑鳩地域の寺々と共通する文様も多くあります。西安寺跡は聖徳太子のゆかりの地として訪れる場所といえます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子。聖徳太子が建立したという46か寺のひとつに数えられています。そのことは文安5年(1448年)に法隆寺僧の訓海が著した『太子伝玉林抄』に記載されています。
当資源と関連する文献史料
『続日本後紀』天長10年(833年)条には、大和国広湍(瀬)郡に西安寺があり、久度寺ともいうことが記載されています。
他地域の関連する歴史文化資源
神奈川県横須賀市の宗元寺跡からは、西安寺のものと同じ型を使用してつくられた忍冬蓮華文軒丸瓦が出土しています。
問い合わせ先
王寺町地域整備部地域交流課文化資源活用係
電話番号
0745-72-6565

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。