出会う 奈良県歴史文化資源データベース

大和国宇陀郡稲戸村薄木家文書(所在:奈良県立図書情報館) やまとのくにうだぐんいなとむらうすきけもんじょ

記入年月日 2018/06/30

第一回奈良県宇陀郡治一斑 全
所在地
奈良県奈良市大安寺西1-1000
区分
歴史資料 | 文書・書籍・絵図・地図など
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
近世・近代文書218点。郡役所の職務上の手控えや郡役所文書が中心で、備忘録や日記風のメモが多いです。明治期を中心に奈良公園の改良や文化財調査、宇陀郡域の道路改修などに関するものがあります。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
明治期に奈良公園や県内の文化財調査・道路改良に携わった人物が残した史料群であり、明治期における奈良県の土木及び文化財に関する貴重な資料です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
薄木祐蔵は、弘化元年(1844年)11月13日に稲戸村に生まれ、明治14年(1881年)5月5日に式上・式下・宇陀・十市郡役所に奉職(2-5-10)。松山出張所に勤務していたようです(2-3-3)。 同15年の初瀬~萩原の道路開鑿の測量日誌である「墨坂日誌」(2-2-6)があり、同22年4月には、多武峯に出張して石造物再建のために尽力しています。測量の教本もあり(2-7-5)、測量の専門知識を持っていたことがわかります。このため、奈良公園改良事業にも携わり、同27・28年の「奈良公園改良ニ関する書類」(2-3-5)には 奈良県属薄木祐蔵とあり、「奈良公園改善工事設計主任建築掛薄木祐蔵」の肩書も見えます(2-4-4)。これらの書類は、いずれも祐蔵の職務上の書類です。 また、祐蔵が書いた「松山町史」(2-5-8)の手稿があり、郷土への愛着や歴史への関心も強かったようです。祐蔵が収集した和古書や絵図も薄木家文書にあり、「琉球人来朝行列之図」(2-6-26)「和宮様御東降之図」(2-6-27)「御上洛御行烈図」(2-6-29)などのほか、自ら筆写した絵図もあります。 同27年発足の宇陀郡役所略図には文書掛の薄木の名が見え(『新訂大宇陀町史』)、同30年7月に奈良県宇陀郡書記を免ぜられているので(奈良県報 第299号)、 この年に退職したと思われます。[暦書綴](2-5-12)は、日記帳としても使用しており、新聞の切り抜いたスクラップブックを含め、明治・大正期の地域の様子がわかる貴重な史料です。[暦書綴]には、「祐蔵翁ハ大正八年十一月二十七日死亡」の記入があり、親族の筆で没年が記入されています。享年75歳でした。
問い合わせ先
奈良県立図書情報館 公文書・地域研究係
電話番号
0742-34-2111

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