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北畠男爵家関連資料 きたばたけだんしゃくけかんれんしりょう

記入年月日 2018/06/30

[文久二年二月足利三代木首事件に付書状]
所在地
奈良県奈良市大安寺西1-1000
区分
歴史資料 | 文書・書籍・絵図・地図など
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
近代文書ほか68点。天誅組の関係者で数少ない生き残りである北畠治房及び子孫の具雄・千畝の三代に関する資料で構成されています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
上記の通り北畠治房は天誅組に参加し明治以降は華族になっており、大和における勤皇家の動向が窺える貴重な資料です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
北畠治房(天保4年〔1833年〕~大正10年〔1921年〕)は、旧名を平岡鳩平、平岡武夫といい、明治維新後に北畠親房の末裔を名乗り、北畠治房と改名しました。北畠末重の息男として大和国平群郡法隆寺村に生まれ、家は代々中宮寺の宮仕人をしていたようです。伴林光平に師事して国学を学び、尊王攘夷に傾倒、文久3年(1863年)8月の天誅組の挙兵に参加するも約40日で鎮圧され、追手を逃れて京都や大坂を転々としました。その後、天狗党にも参加しました。明治維新後は司法官となり、横浜・京都・東京裁判所長、大阪控訴院長を歴任しました。大隈重信と親交が深く、立憲改進党の結成にも参画しました。明治29年(1896年)には司法官としての長年の功労により男爵を授けられました。
問い合わせ先
奈良県立図書情報館 公文書・地域研究係
電話番号
0742-34-2111

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