出会う 奈良県歴史文化資源データベース

土倉翁屋敷跡 どぐらおうやしきあと

記入年月日 2019/04/25

所在地
川上村大字大滝36-1
区分
遺跡 | その他
指定内容
村指定歴史記念物文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
土倉庄三郎は、天保11年(1840年)、大滝のこの屋敷に生まれ、78年間の生涯を過ごしました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 室町時代から植林が始まった吉野地域は、「吉野林業」という超密植、多間伐が特徴の造林法によって、良質な杉や檜を生み出してきました。この造林法を全国に広めたのが「日本林業の父」と呼ばれる土倉庄三郎です。
 15歳のとき、林業家の父の代わりに家業を継ぎ、伐採した木材を運搬する際の監督役「吉野材木方」に就任しました。その後、優れた多くの材木を生産する、独自の「土倉式造林法」を編み出し、その技術を全国へと広げました。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
・民間大学設立の夢を語る新島襄に賛同し5,000円を寄付し創立に尽力しました。
・梅花女学校の講師、成瀬仁蔵が描く「日本女子大学」の設立に賛同し、大阪の事業家である広岡浅子を紹介し5,000円を寄付するとともに設立までの支援を行いました。
・板垣退助の欧州洋行費のために2万円あまりを提供したほか、自由民権家の中島信行の遊説費用、日本立憲政党新聞に出資しました。
当資源と関連する文献史料
川上村史 奈良県史 土倉家文章目録(天理図書館) 同志社史料編集室文書
当資源と関連する伝承
・桜の名所と知られる吉野山。明治の初めのころ、吉野山の総代が、吉野山を訪れる人がなく、村人は生活に困っており、大阪の商人に桜の木を売り、杉檜の苗木の購入のために、庄三郎の元を訪ねてきました。そのことに驚いた庄三郎は、「これからの日本に、外国人が多く遊びに来るだろう。そのためにも吉野山の桜は保存しておかなければならない。」と、即座にお金を渡し、伐採は免れました。
・吉野の奥地から木材を効率的に運ぶために、吉野川の改修や道路の建設を積極的に行いました。そのひとつが、現在の国道169号線にあたる「東熊野街道」です。川上村内、伯母峰峠に荷車が通れる道を開設し、明治20年(1887年)に完成させました。山林地主に道路建設のために出資するよう働きかけ、道路が完成後、木材運搬だけではなく人々の往来や物資の輸送が増え、村民の暮らしも一変しました。
・土倉家所有の吉野の山林は、最盛期には9,000ヘクタール。大財閥の三井家に並ぶ財力を持っていたといわれています。その財力を「国・教育・事業」に均等に費やすことを信念とし、多くの政治家や社会活動を支援、明治期の日本の成長を支えた立役者の1人となりました。明治の元勲たちは、みな厳しい峠を越え、「土倉詣で」をするために、川上村を訪れました。
・明治31年(1898年)に出版された『吉野林業全集』は、吉野の地形や杉檜の成長具合に合わせた施業方法、林業道具のイラスト、山守制度の説明、加工法など、林業家のバイブルそのものです。本の刊行にあたり、出版の費用となる5,000円の援助のほか、より多くの人の目にこの技術が触れるよう、自身の人脈を発揮しました。405ページにわたる本書は、山から市場までの吉野林業のあり方が描かれ、全国の林業地に大きな影響を与えました。
問い合わせ先
川上村役場 林業建設課
電話番号
0746-52-0111

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