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宮山塚古墳 みややまづかこふん

記入年月日 2019/04/26

宮山塚古墳入口
宮山塚古墳縁起
所在地
奈良県生駒郡平群町椿井1505番地
区分
遺跡 | 古墳
指定内容
県指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
近畿地方で最古級の横穴式石室を備えた古墳です。東西26m、南北24m、高さ約7mの円墳です。埋葬施設は短い羨道と平面正方形のドーム状天井を備えた右片袖式石室です。石室は初期横穴式石室の特徴を備えており、近畿地方でも最古級のものです。5世紀後半~末頃に築造されたと考えられます。
 椿井城への入り口がある椿井春日神社に接しており、ここを防御するための出城として利用されていたのではないかと言われています。椿井出身と伝わる戦国武将として有名な嶋左近も、ここを訪れたでしょう。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 小さな山で、昔から椿井の子どもたちの遊び場になっていました。最近は椿井城へ登城する観光客も増え、登る前後に中を覗いていく人もいます。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
初期の横穴式石室を備えており、朝鮮半島の古墳との関連も深いと言われています。豪族平群氏のゆかりの墓とされています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
平群氏は応神朝から軍事氏族として活躍し、平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)が国政に携わるようになり、木菟の子の真鳥(まとり)が大臣となり一族の興隆を極めました。しかし天皇家をも凌ぐその勢力を怖れられ、稚鷦鷯太子(後の武烈天皇)の命を受けた大伴金村により、真鳥とその子の鮪(しび)は誅殺されたといいます。それ以後、用明天皇2年(587年)の物部守屋討伐に随従した神手(かみて)が有名。神手の伝承のある井戸が残されています。平群氏は奈良時代には官人を輩出したがその後は没落しました。
当資源と関連する文献史料
日本書紀
問い合わせ先
NPO法人うぶすな企画
電話番号
0745-45-5196

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