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吉野の手漉き和紙 よしののてすきわし

記入年月日 2021/09/15

吉野の手漉き和紙
所在地
奈良県吉野郡吉野町国栖地域
区分
工芸技術 | 金工・漆芸・染織・陶芸など
指定内容
国選定保存技術(宇陀紙、美栖紙、吉野紙)

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 吉野町国栖地域で漉かれている手漉き和紙の技術です。宇陀紙(国栖紙とも)、美栖紙、吉野紙などの様々な紙が、今も漉かれています。
 吉野町国栖地域でいつごろから紙漉きが行われていたのかは定かでありません。しかし、室町時代頃の文献に「吉野のべ」「クツシ(国栖紙か)」といった言葉が確認できることから、遅くともその頃には紙漉きが行われていたと考えられています。なお、地元では天武天皇に紙漉きの技術を教わったと伝えています。
 国栖の紙漉きは、江戸時代頃には広く一般に知られていたようで、俳諧や小説・戯曲などで取り扱われた例が散見できます。その後も、昭和のはじめには谷崎潤一郎が小説『吉野葛』で、また、昭和の中ごろには北泉優子が小説『忍ぶ橋』や『吉野物語』で国栖の紙漉きを取り上げています。
 今、国栖で漉かれた和紙の多くは、文化財の修復などに用いられています。また、灯り工芸品やインテリアに用いられるなど、活用され続けています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
今、国栖地域の観光協会(国栖の里観光協会)では、「ものづくりの里」というキャッチフレーズで国栖をPRしています。割りばしとともに、手漉き和紙は国栖のものづくりを代表する技術といえます。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
壬申の乱開戦前の大海人皇子にまつわる、いわばサイドストーリーの舞台です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
【大海人皇子】天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して天武天皇となった。 即位後は官制改革、都の遷都、『古事記』編纂の指示、貨幣の発行、寺社の整備など様々な改革や取り組みを行ったことで知られる。後世の軍記物語でも紹介されるなど、人気が強い歴史上の人物のひとり。 【国栖人】応神天皇が吉野行幸した際に、もてなした記述が『日本書記』などにみられる。
当資源と関連する文献史料
大海人皇子の文献としては『古事記』『日本書紀』。
当資源と関連する伝承
国栖の紙漉きの技術は天武天皇から教わったと伝わっています
他地域の関連する歴史文化資源
【浄見原神社】大海人皇子をかくまった場所だと伝わる。 【ジジ河原・ババ河原】 国栖の翁が船の下に皇子を匿った場所と伝わります。
問い合わせ先
吉野町役場産業観光課
電話番号
0746-32-3081

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。