出会う 奈良県歴史文化資源データベース

金剛寺 こんごうじ

記入年月日 2021/09/24

御朝拝式
所在地
奈良県吉野郡天川村沢谷60番地
区分
建造物 | 宗教建築
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 南朝・北朝の二つの朝廷が対立して争った南北朝時代(1336年~1392年)後醍醐天皇は、時の武家政治を廃し王政復古を計られ、護良親王を奉戴した楠木正成、足利尊氏、赤松則村、新田義貞等の武将の協力によって、北条執権の鎌倉幕府を滅亡させて建武の新政が成立しましたが、武家の不満と公家が対立して、僅か2年余りで終わり、足利尊氏が叛いたので天皇は京都を出て吉野に移られました。吉野に移られた後醍醐天皇と、後村上、長慶、後亀山の南朝四代の天皇は各皇族方と共にその戦乱を避けるため、更にこの草深い天の川郷に度々御潜幸になり、しばしば御滞在なされました。後醍醐天皇が初めて吉野から天の川郷へ落ちのびの節、河合寺(現在の天水分神社)の東方に位置する山中の洞窟に立て籠り給うた一夜の夢に十一面観世音が現れ、河合寺を安住の場所とお告げになったことで、以来この観世音を天皇の守り本尊として御信仰になり、この山を観音山と名付けられました。また、河合寺を月登山河合寺と命名され、黒木の御所と称されて行在所となされました。朝廷は私等の祖先がこの南朝を守護して忠勤を励んだ功績を賞されて「南朝旧臣位衆傳御」の組中をご下命になりました。爾来その子孫が祖先と同様に直々天皇に奉仕する如く、御下賜になった7通の御綸旨と御示書八か条に併せ、天皇御木像、十一面観世音を奉戴して、毎年2月に天皇に新年の御挨拶を申し上げる「御朝拝式」、5月に天皇の守り本尊十一面観世音を祀る「観音会式」、9月に南朝四代の天皇と皇族方のご冥福を祈念する「天皇会」を南朝旧臣位衆傳御の組中が700年の時空を超えた今尚この祭典と法要を営んでいます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 57年間の長きにわたり、南北二つの朝廷に分かれての動乱南北朝時代、後醍醐天皇から後村上、長慶、後亀山天皇の四代にわたって、57年間の大半を奥吉野天の川郷を拠点とされた深いゆかりの黒木御所跡や、行在所とされた河合寺跡や、光遍寺、天河辨財天社等に残されている南朝関連の歴史文化資源は、村の歴史上も重要な存在で、これらの資源とも深く関わっているいる「南朝旧臣位衆傳」の存在は類ない貴重なもので、これらの歴史文化資源の所在地域のみならず、村の未来に及ぶ大切な資源と考えます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇、四代天皇の御下賜の綸旨保存
当資源と関連する文献史料
天川村史
問い合わせ先
天川村教育委員会
電話番号
0747-63-0321

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