深める 歴史文献で訪ねる奈良

西国三十三所名所図会でみる
今昔
如意輪寺(吉野町)

如意輪寺の創建は延喜年間(901-923年)であり、南北朝時代には吉野に行宮を定めた後醍醐天皇の勅願所(天皇が国家の平穏を願うための寺社)とされました。後醍醐天皇は1339年に崩御され、図会の右上に描かれている陵に葬られました。図会の左には如意輪寺の境内の様子がうかがえますが、本堂(如意輪堂)は1650年に再建されたものです。なお、図会の文中に、「後醍醐帝の陵のほとりに桜を千本植えんと誓ひして、年々に植花の咲きたる」とありますが、これが現在でも有名な吉野の中千本の桜です。

早稲田大学図書館所蔵 西国三十三所名所圖會より
楠木正行公屏風

ここが見所

楠木正行(1326-1348年)が四條畷の戦いの直前に、如意輪寺に詣でたときの様子が描かれています。また、如意輪寺には、正行の辞世の歌(「かへらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」)が刻まれた扉も残されています。