活かす 歴史を活かす地域の取組

歴史を活かす地域の取組

奥田の蓮取り 大和高田市奥田

毎年7月7日に、奥田の集落で行われている行事です。奥田の人々が蓮取り舟に乗って、古式にのっとり捨篠池(すてしのいけ)の蓮を切り取ります。行者達の行進や弁天神社での大護摩供を経て、蓮は吉野の金峯山寺へと運ばれます。役行者とその母・刀良売(とらめ)ゆかりの奥田の地に、長きにわたって受け継がれている行事です。

大字奥田の人々の誇りが、伝統行事の存続を支えています。 大字奥田の人々の誇りが、伝統行事の存続を支えています。

東田武治氏 西川隆教氏 に聞く
2018年2月
役行者生誕伝承地の碑
(奥田蓮池公園)

金峯山寺と奥田の結びつき

吉野の金峯山寺は、修験道の創始者である役行者が創建したとされるお寺ですが、その役行者の生誕の地と伝えられているのが奥田です。また、蓮取りが行われる捨篠池には、“役行者の母・刀良売が投げた篠が、池の蛙の片目に突き刺さった”という「一つ目蛙の伝説」があります。このように奥田は、役行者とその母にゆかりの深い土地です。ですから、金峯山寺の「蓮華会」で蔵王権現に供えられる蓮は、奥田の蓮でなければならないわけです。

雨の中の草取りの様子

蓮を育てる苦労と、大字奥田の人々の誇り

蓮の開花時期は通常はお盆前後ですが、奥田の蓮は行事当日(7月7日)には開花していなければなりません。蓮は育てるのが非常に難しい植物であるうえ、このような厳しい条件のもと、水の世話から肥料やり、草の手入れなど、大字の総代・評議員を中心に奥田の人々がわが子を育てるように、一生懸命に蓮を育てています。華やかな蓮取りの裏には大変な苦労がありますが、「金峯山寺の権現様にお供えする蓮を育てている」という大字奥田の人々の誇りがあるからこそ、このような苦労も乗り越えることができ、蓮取り行事が今日まで続いているといえます。

弁天神社での大護摩供

見物客の受け入れに向けた取組

蓮取りが行われる捨篠池は、堤が崩壊して危険な箇所もありましたが、平成5年から6年に修復工事を行い、公園(奥田蓮池公園)として整備されました。また、蓮取り行事(蓮取り舟の運行と蓮の採取、行者の行進、刀良売墓碑前での供養、大護摩供など)の流れを説明した看板を奥田蓮池公園に設置しました。これらの取組に加えて平成16年に奈良県の無形民俗文化財に指定されたこともあり、近年では毎年1,200~1,300人の人で賑わっています。行事当日には、パンフレット等の配布、仮設トイレの設置、警備員の配置、無料送迎バスの運行など、大和高田市の協力もいただきながら、見物客の受け入れ態勢を整えています。

行事を見学する子ども達

行事を存続させるための取組

奥田の蓮取りが将来も存続していくためには、若い世代へ行事を伝承していく必要があります。そのため、蓮取り行事の直後に、地元の幼稚園児100名ほどに「だんじり」を引っ張ってもらうことで行事をともに楽しんでもらう取組を、近年まで行ってきました。現在では、幼稚園児や小学校の生徒が行事当日に見学に訪れますし、行事の前には善教寺(捨篠池の近くにある寺で、役行者創建の捨篠院の旧跡に建つと伝えられる)の住職が幼稚園児に「一つ目蛙の伝説」の話などをしています。このように、幼い頃から行事に慣れ親しんでもらう取組を行っています。