はじめての万葉集

県民だより奈良 平成30年6月号

はじめての万葉集
家(いへ)にあれば 妹が手まかむ
草枕 旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ
上宮聖徳皇子(かみつみやのしようとこのみこ)(聖徳太子)
巻三 四一五番歌
【訳】 家にいたら妻の手を枕としているであろうに、
草を枕の旅路に倒れているこの旅人よ。ああ。
聖(ひじり)は聖を知る

 古代史上、最も有名な人物の一人である聖徳太子。『日本書紀』の薨去(こうきょ)の記事では、万民が親や子を失ったように泣き悲しみ、まるで月日が光を失い、天地が崩れたようだと伝えられています。聖徳太子がそのように民に慕われていたのは、その名が象徴するように、聖(ひじり)のような徳をもって人びとに接していたことによるのでしょう。今回の歌は、太子の聖たる由縁(ゆえん)を伝える、伝承歌と考えられている一首です。
 この歌の題詞には、聖徳太子が竹原井(たかはらのい)(現在の大阪府柏原市高井田)に出かけた時に、龍田山で死人を見て悲しんで作った歌とあります。この歌に類似する歌と物語が、『日本書紀』にも記されています。『日本書紀』では、太子が片岡を遊行していた時に、道に倒れている飢人と出会います。太子は飢人に飲食と自らの衣を与えて、「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ……」と歌をうたいます。しかし飢人は死んでしまい、太子はひどく悲しんで手厚く埋葬しますが、後日その屍は消えて衣だけが残されていました。太子は、実はあの飢人が聖の化身であることを見抜いていたのです。『日本書紀』ではこの物語の最後に、聖は聖を知るというのは本当であり、人びとはいよいよ畏(かしこ)まったと伝えています。この太子と飢人にまつわる説話は、物語や歌を変化させながら、太子の伝記である『聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)』や、仏教説話集の『日本霊異記(にほんりょういき)』や『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』にも収録されています。
 古代では、旅の途中で行き倒れて命を落としてしまう人がいました。そのような死者に出会った時には、歌を詠んでその哀れな魂を鎮めるのが習わしだったようです。この作品も、死者の魂をなぐさめる歌を通して、聖徳太子伝承を抱えながら『万葉集』に収録された一首と思われます。
(本文 万葉文化館 大谷 歩)

万葉ちゃんのつぶやき
達磨寺(だるまじ)
 王寺町にある達磨寺には、今も本堂の下に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があり、これが聖徳太子が上の歌に登場する飢人のためにつくったお墓とされています。
 飢人は、のちに達磨大師の化身と考えられるようになり、鎌倉時代にその上にお堂が建てられ、本尊として聖徳太子像と達磨大師像が安置されました。達磨寺は聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまったのです。
達磨寺
王寺町本町
達磨寺
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