今回の歌は、柿本人麻呂が吉野行幸にお供した際に詠んだ歌です。この歌は持統天皇代の部分に収録されており、持統天皇は吉野へ三十回以上も行幸した記録が『日本書紀』にあるため、持統天皇の吉野行幸の時の作であると考えられています。左注では、『日本書紀』から持統三・四・五年の計六回の行幸の記事を指摘しますが、どの時の作かは不明であるとしています。 人麻呂は、吉野行幸時の歌を二組の作品に残しており(巻一・三六~三九番歌)、今回の歌は一組目の長歌の反歌です。長歌では、天皇が統治する天下の中でも吉野の山川は清らかであり、天皇はそこに立派な宮殿をお造りになり、臣下たちは朝夕に川で船遊びを楽しんでいる、その吉野の宮殿(滝の宮)はいつまでも見飽きないことだ、と詠まれています。宮殿をほめることは、その主である天皇への讃美となります。続いて詠まれた反歌(今回の歌)では、「見る」ことがくり返し詠まれています。これは、「見る」ことによる呪的な力により、吉野の素晴らしい自然を讃美し、そこに築かれた離宮と天皇の御代が末永く続くことを願う内容です。それは人麻呂個人の心情というよりも、この行幸に参加した人びとの思いの代弁であったと思われます。 吉野の山や川が取り立てて詠まれるのは、儒教の「山水仁知」の思想によるものと考えられています。山水の地を遊覧することは、儒教的な徳を身に付けることであるという思想です。さらに吉野は、老荘思想により神仙境に見立てられた場所でもありました。持統天皇の度重なる吉野行幸の理由についてはさまざまな説がありますが、神仙境である吉野を訪れることで、神仙の不老長寿の力を得ようとしたのではないかとも考えられています。 持統天皇や人麻呂などの万葉歌人たちが訪れた吉野の地。みなさんもぜひ「見れど飽かぬ」吉野の地を訪れてみてください。 (本文 万葉文化館 大谷 歩)
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