今回は新元号の「令和」にちなみ、出典となった『万葉集』の「梅花の歌三十二首」のうち、序文の筆者と考えられている大伴旅人の歌についてご紹介します。 「令和」の出典となったのは、歌の由来を記す「序文」という漢文の中の一節です。この序文は、書家として著名な中国の王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじよ)」の影響があると言われています。永和九(三五四)年三月三日、会稽山(かいけいざん)の北の蘭亭に文人たちが集い、曲水(きょくすい)の宴が催されました。その時に詠まれた詩に付された序文が「蘭亭序」です。「梅花の歌」の序文には「蘭亭序」と似ている文言もありますが、旅人は「蘭亭序」の文章を模倣したのではなく、志ある文人たちが集い、理想の宴を開いたというその理念を受け継ぎました。それが、「梅花の歌」が詠まれた宴です。 その宴の主人が、大伴旅人です。旅人の歌は、天から雪が降ってきたかと見まがうような、純白の梅の花の散る美景を捉えた歌で、この歌は序文とも対応しています。序文には、中国には「落梅(らくばい)の篇(へん)」という詩があるといい、それに擬(なぞら)えて我々は「短詠」(短歌)を作ろう、とあります。この「落梅の篇」とは、古代中国の「梅花落(ばいからく)」という楽府詩(がふし)を指していると言われています。「梅花落」は、辺境に身を置く者が正月の梅花を見て故郷や家族を思うという内容で、都から離れた大宰府(だざいふ)の官人たちの境遇と通じるものがあります。漢語では「落」は「散る」という意味であり、「梅の花散る」はすなわち「梅花落」を翻訳した言葉であると考えられます。旅人はこの「梅花落」の詩を理解し、さらに蘭亭のような理想の宴を、日本で実現させたのです。 和と漢の融合によって新しい文学を模索したのが、大伴旅人という歌人でした。私たちも異文化を排除するのではなく、「和」することによって新しい時代を創造していけたらと願っています。 (本文 万葉文化館 大谷 歩)
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