たとえどんなに美しくとも、実らぬ木には恐ろしい神が依(よ)り憑(つ)きますよ…と、求愛する相手に色好(よ)い返事を強く求めるこの歌は、歌の前につけられた題詞によると、大伴安麻呂が巨勢郎女(こせのいらつめ)に求愛した時の歌とされています。 これに対して巨勢郎女は、「玉葛 花のみ咲きて 成らざるは 誰(た)が恋ひにあらめ 吾(わ)が恋ひ思(おも)ふを」(玉葛のように花ばかりで実がないのは、一体どなたの恋なのでしょう。私はこんなに恋いしたっておりますものを。〈巻二・一〇二番歌〉)と返しており、自分も安麻呂を想っているのだという恋心を直截的に伝えています。このような歌の掛け合いができるということは、この二人は既に気心の知れた、良い仲だったのでしょうか。 ところが、二人の出自や経歴を見ていくと、この恋の行方が気になってしまいます。 安麻呂は大伴旅人(おおとものたびと)の父にあたる人物で、大海人皇子(おおあまのみこ)(後の天武天皇)と近江朝廷が争った壬申の乱では大海人側について行動した記録が『日本書紀』にあります。 一方の巨勢郎女は、安麻呂への返歌につけられた注に「近江朝(あふみのみかど)の大納言巨勢人卿(こせのひとのまへつきみ)の女(むすめ)なり」とあり、壬申の乱で安麻呂が敵対した近江朝廷側の重臣の娘だったとされています。壬申の乱で近江朝廷が敗北した後、巨勢人は子孫とともに流罪に処されていますが、ここに巨勢郎女も含まれていたのかは分かっていません。 本歌は、『万葉集』巻二の歌々のうち、天智朝(近江朝廷)の歌がまとめられた箇所に配列されています。これが近江朝廷の時の歌だとすると、二人の恋が実ったのか、実ったとしてその後の戦乱を経てどうなったのか…とても気を揉ませる歌の配列になっています。 (本文 万葉文化館 吉原 啓)
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