聖武天皇が志貴皇子(しきのみこ)の娘・海上女王(うなかみのおおきみ)に贈った歌です。「赤駒の越ゆる馬柵」をしっかり結ぶように、しっかり結んだあなたの心は疑いないよ、という恋の歌です。 ただ、「赤駒の越・ゆ・る・馬柵」という表現は不思議ですね。越えてしまう高さの柵ならば、しっかり結んだところでどのみち飛び越えてしまいます。 このわかりにくさをフォローするかのように、歌の左注には「擬古(ぎこ)の作」(古体をまねた作)で、「時に当れる」(時にふさわしい)ので賜った、との説明があります。「大海(おほうみ)の底を深めて結びてし妹が心は疑ひもなし」(三〇二八番歌)という類歌があり、この類(たぐ)いの古歌を下敷きにした可能性があります。また「時に当れる」とは、次のような機会が想定できます。 聖武天皇は神亀元(七二四)年二月に即位し、五月五日に「猟騎(りょうき)」つまり馬に乗って弓を引く儀式を観ています(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)。即位直後の端午の節で、例年よりも盛大に行われたようです。颯爽(さっそう)と駆ける馬の姿に、柵まで越えそうだと発想したのかもしれません。天武天皇が藤原夫人に贈った、からかい混じりの雪の歌(一〇三番歌)もありました。今回の歌も、「馬柵を越える赤駒のように自由なあなた」と、海上女王を赤駒に喩(たと)えた戯れの歌とする解釈があります。続く海上女王の返歌にも「梓弓(あづさゆみ)」が詠み込まれています。恋歌の形式をとりつつも、端午の猟騎を素材として戯れに詠み合ったものかもしれません。 聖武天皇の時代は大伴旅人・家持の活躍時期でもあり、万葉集の中心をなす時代ともいえます。聖武天皇の歌は、天皇としては最多の十一首収められており、その中で今回の歌はもっとも早い時期のものと考えられます。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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