はじめての万葉集

県民だより奈良
2021年12月号

はじめての万葉集
【vol.92】
わが背子(せこ)と 二人(ふたり)見(み)ませば 幾許(いくばく)か
この降(ふ)る雪(ゆき)の 嬉(うれ)しからまし
光明皇后 巻八 (一六五八番歌)
我が夫の君と二人で見ることができたならば、どれほどかこの降る雪が嬉しく思われるでしょうに。
光明皇后と恭仁遷都

 題詞によると、これは光明皇后が聖武天皇に贈った歌で、『万葉集』巻八に冬の相聞歌(そうもんか)(男女が親愛の情をうたった歌)として収められています。巻八では原則として部立(ぶだて)(歌のジャンル)ごとに年代順で歌が並べられており、この歌の前には天平四(七三二)年頃、後には天平十三(七四一)~十五(七四三)年頃の歌が配列されていますので、天平年間中頃の歌であることがわかります。
 光明皇后は聖武天皇と同い年の大宝元(七〇一)年生まれで、聖武天皇が皇太子であった頃にキサキとなり、天平元(七二九)年に皇后となりました。夫婦の仲は終始円満であったといわれますが、この歌での光明皇后は、降る雪を夫の聖武天皇と二人で見られないことを寂しく思っている様子です。ある年の冬の降雪期に、夫婦が共に過ごせない何らかの事情があったことがうかがえます。
 『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、九州で藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱が勃発した天平十二(七四〇)年、聖武天皇は平城京から伊勢・美濃・近江へと行幸し、同年十二月には平城京へ戻らずに山背国相楽郡恭仁郷(やましろのくにさがらかのこおりくにのさと)(現在の京都府木津川市加茂町)にとどまり、この地に宮を置いて京の造営を始めました。これが恭仁京です。『続日本紀』によると、十二月の時点では元正(げんしょう)太上天皇と光明皇后はまだ恭仁宮に入っておらず、「在後而至(のちにいたる)」とありますので、同年末には聖武・光明の夫婦は恭仁京と平城京で別々に過ごしていたと考えられます。よって、この歌は天平十二年十二月、聖武天皇が恭仁京の造営を宣言した前後に詠まれた可能性が高いといえます。元正太上天皇は翌天平十三(七四一)年七月に恭仁の新宮へ移っており、光明皇后もその頃までは寂しく夫との別居生活を送らざるを得なかったと思われます。
(本文 万葉文化館 竹内 亮)

光明皇后と恭仁遷都
万葉ちゃんのつぶやき
万葉集と雪
 『万葉集』には、今回紹介した歌のように雪が関係する歌が数多くあり、その表現も淡雪、み雪、沫雪、初雪、白雪など多彩です。
 特に正月に降る雪は豊作をもたらす前兆とされ、『万葉集』には次のような歌が収められています。「新(あらた)しき 年のはじめに 豊(とよ)の年 しるすとならし 雪の降れるは(巻十七・三九二五番歌)」(新しく来た年のはじめに、豊作の年のしるしを見せるらしい。この降る雪は。)
 また、『万葉集』の最後の歌(巻二十・四五一六番歌)も雪に関係する歌が収められています。
万葉集と雪
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