三宅町
聖徳太子と太子道(たいしみち)
奈良盆地のほぼ中央に位置する、奈良県で最も小さいまち三宅町には、飛鳥時代に聖徳太子が斑鳩宮から三宅の原を経て飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)へ、お供の調子麿(ちょうしまろ)を従え、愛馬黒駒に乗って通われたという伝承があり、その道を「太子道」と呼んでいます。
奈良盆地中央部の三宅町屏風(びょうぶ)から田原本町保津(ほつ)方面へと続く一本の道(南南東方向へ斜行している部分)が今日に至るまで残っています。この道路が、壁の補強材の筋違(すじかい)に似ているところから「筋違道(すじかいみち)」とも呼ばれました。
『万葉集』に詠まれている「三宅道(みやけぢ)」がこの太子道のこととみることもできます。中世以降は「法隆寺街道」とも呼ばれ、生活道路として盛んに利用されるようになりました。現在では町道70号線として活用されています。
また、沿道にある屏風杵築(きつき)神社には「屏風の清水(しみず)」と呼ばれる太子ゆかりの文化資源があります。太子が屏風村をお通りの際、お供の調子麿が飲み水を探しましたが、見つかりませんでした。そこで太子が従者の持つ矢でこの地をひと突きすると、なんとそこからきれいな水がこんこんと湧き出てきました。村人はこの清水を「矢尻ノ井戸」と名付け、皆で大切に使いました。
太子道
矢尻ノ井戸
白山(はくさん)神社(三宅町屏風)
白山神社は、太子道の沿道にあり屏風杵築神社と相対する位置にあります。境内の奥には聖徳太子が斑鳩から飛鳥への往来の際、この地で休憩された時に腰をかけられたと伝わる「腰掛石」や、太子の愛馬「黒駒」の手綱を結わえたといわれる「駒つなぎの柳」があります。また、太子を偲び建立された像で、屏風を往来される様子を表した「黒駒に乗る太子像」を見ることができます。
腰掛石
駒つなぎの柳
黒駒に乗る太子像
問
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