昔、昔、聖徳太子が九歳の頃のお話。太子の宮殿で、白雪丸と言う名の犬が大切に飼われていた。太子は、白雪丸に担当の役人を付け、毎日食べ物を与えていた。 ある時、太子の前に白雪丸が来て、少しやせた姿で何かを訴えるように前脚を折り曲げてかしこまった。太子は、白雪丸の食べ物を役人が盗み取っていることを伝えたいのだと気付いたが、証拠がない。 太子は、白雪丸に「学架(がくか)という博士のところへ行き、訴状を書いてもらいなさい」と言った。 再び、白雪丸が大喜びで太子のもとへ。太子は学架に書いてもらった訴状を読むと、役人を呼んで注意した。その後は盗み取られることはなくなったそうだ。
このお話は、江戸時代初めの慶長十二(一六〇七)年に書かれた『太子伝撰集抄別要(たいしでんせんしゅうしょうべつよう)』に登場する。 白雪丸のお話は、実は、聖徳太子への信仰が一層高まった鎌倉時代から、『聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)』が多く作られ、その頃から登場したようだ。談山神社(桜井市)の『聖徳太子絵伝』(十五世紀)もその一つ。聖徳太子と巻物をくわえた白雪丸が描かれている。 その後の、江戸時代の末から明治時代初め頃に書かれた『達磨寺略記(だるまじりゃっき)』。ここで初めて雪丸の名が登場する。ということは、雪丸のルーツは、白雪丸ということか。
さてさて、その白雪丸のご主人の聖徳太子。飛鳥時代、叔母の推古天皇とともに皇太子の立場で政治を行った。遣隋使の派遣、十七条憲法の制定、仏教の興隆に努めた。 太子は幼少から聡明で、十人の話を一度に聞き分けたという。その太子の愛犬、賢い雪丸。今は、王寺町の観光・広報大使として日々、大活躍している。
※雪丸のルーツについては、王寺町広報誌を参考にしています。
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