この歌は、天武天皇の長子の高市皇子が持統天皇十(六九六)年に亡くなった時の挽歌で、『万葉集』中で最長の長歌として知られています。前半は、父の意を受けて壬申(じんしん)の乱を最前線で戦い、軍衆を率いて勝利に導いた高市皇子の勇壮な姿が、長歌の名手である柿本人麻呂によって見事に描写され、「歌による壬申紀(じんしんき)」とでも言うべき雄大な叙事詩となっています。後半では、主人を失った高市皇子宮に仕える人々の悲しみや葬送のさまが描かれます。歌中の「埴安の御門」、「香具山の宮」、「百済の原」、「城上の宮」といった地名は、高市皇子宮の比定地を探す手がかりとしても重視されています。 (本文 万葉文化館 竹内 亮)
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