この歌は、天武天皇と大田皇女(おおたのひめみこ)との間に生まれた大津皇子が、石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈った歌です。
「妹」とは恋人などの親しい女性を指すことばで、ここは歌を贈った相手である石川郎女を意味します。 『万葉集』に登場する「石川郎女」は一人ではなく、同じ名で呼ばれた女性が複数いたようですが、大津皇子と草壁皇子(くさかべのみこ)から歌を贈られた「石川郎女」は同一人物であったとみられています。 石川郎女が大津皇子に返した歌(一〇八番歌)、二人の仲を堂々と宣言した大津皇子の歌(一〇九番歌)、草壁皇子が石川郎女に贈った歌(一一〇番歌)が連続して収められていることから、大津皇子物語とでもいうべきものが形成されていたとみられており、石川郎女をめぐる人間関係が、大津皇子謀反(むほん)事件の遠因の一つであった可能性も指摘されています。 この歌では、短い中で第二句と第五句に同じ表現を繰り返し、「山のしづく」に濡れたことを強調しています。古代の恋愛や結婚の歌では、女性の部屋を男性がたずねていく通い婚の描写が多くみられますが、この歌では「山のしづく」とあるとおり、屋外で会う約束をしていた様子がうかがえます。一〇九番歌には二人の仲が禁じられていたらしい描写もあり、通常の逢瀬がかなわない何らかの事情があったと考えられています。 これらの歌に先立つ大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌(一〇五・一〇六番歌)には、同母弟である大津皇子の身を案じる様子が表現されており、そこにも「わが立ち濡れし」と同じ表現がみられます。一連の歌は「藤原宮御宇天皇代(ふじわらのやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)」という標目の冒頭に位置付けられています。史実がどうであったかは不明ですが、大津皇子の謀反事件に対して同情的な立場で編纂(へんさん)されたと考えられます。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
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