奈良県の西北に連なる緑濃い生駒山系。今回は、その山上近くの鬼取町(おにとりちょう)に伝わるちょっと怖~いお話。
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昔、昔、役行者(役小角(えんのおづぬ))という呪術者がいた。神通力という不思議な力を持つ彼は、ある時、夢のお告げで、生駒山に棲む鬼の夫婦が人間の子どもを捕まえ隠すため村人が困り果てていることを知った。
それならば、と、彼は生駒山に登り鬼の出るのを待ち構えた。さて鬼が現れるや、彼は鬼の子どもの末っ子を釜に隠した。さあ、大変。鬼の夫婦は泣きながら子どもを探し回った。
そこで、役行者は親鬼を捕まえ「鬼も我が子が可愛かろう。人間も同じじゃ。これからは決して悪いことをしてはならぬ」と戒めた。
鬼の夫婦は、今までの行いを深く悔い改めた。そこで役行者は二人の角と髪を切り、自分の弟子にした。夫は前鬼(ぜんき)、妻は後鬼(ごき)といい、それからは役行者に付き従い彼を助けたという。今も鬼取、鬼取山などの地名が残る。
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さて、このお話の舞台、生駒山。今とは違い、かつては鬼が棲むような恐ろしい山だったのか。鬼取町のすぐ西南の、奈良から山を越えて大阪に至る、その名も暗峠(くらがりとうげ)。樹木が鬱蒼(うっそう)と茂って天を覆い昼なお暗いところ。井原西鶴の『世間胸算用(せけんむねさんよう)』ではこの峠で追剥(おいはぎ)(強盗)が出た話も。鬼取町は今も樹々、竹薮が山を覆うが、多くの谷筋に段々畑、棚田がひらけ、明るい光も射す。
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役行者は、飛鳥時代に実在したとされ、葛城、吉野、熊野などの山々で厳しい修行を積み、秘法を会得した。今に続く修験道(しゅげんどう)の開祖と仰がれる。
さて、鬼の夫婦には五人の子どもがいたが、役行者は呪力で人間に変えた。その子孫は五鬼(ごき)と呼ばれ、実は、今もその中の一家が吉野郡下北山の前鬼におられる。六十一代、五鬼助(ごきじょ)義之さん。修験者の世話をする宿坊を夫婦で守っている。
奈良には、今も1000年を遥かに超える歴史が脈々と息づいていることに改めて驚かされる。
暗峠
暗越大坂街道は、大阪と奈良を結ぶ往時の幹線道路で、現在も使われている。府県境の「暗峠」には当時の面影をしのばせる石畳が今も敷かれている。
教弘寺
暗越大坂街道から北へ入った小倉寺町の集落の奥にあり、役行者が開いたという伝承が残る。境内には天正6(1578)年銘の石造役行者像がある。