この歌は、元正太上(げんしょうだいじょう)天皇が山村(やまむら)(現在の奈良市山町付近)へ行幸して平城宮へ戻った際、「あしひきの山行きしかば山人の我(われ)に得(え)しめし山づとそこれ」(山へ行った時に山人が私にくれたおみやげですよ、これは)という歌(四二九三番歌)を口ずさみ、これに応(こた)える歌を詠むよう臣下たちへ命じたのに対し、その場にいた舎人親王が即座に応えて返した歌です。山の枕詞「あしひきの」をそのまま用い、元の歌で三回使われている「山」の語句を同じく三回使って返しており、当意即妙(とういそくみょう)な歌の掛け合いの様子が読み取れます。また、「山人」とは山に住む仙人のことで、元正太上天皇が「山に行って仙人に会ってきましたよ」と歌ったのに対し、舎人親王は「仙人とは誰ですか」と返しています。これは、太上天皇の住まいを「仙洞(せんとう)」(元来の意味は仙人の住居)と呼ぶのを踏まえた言葉遊びで、舎人親王は「仙人というのは仙洞に住む貴方のことではないですか」と元正太上天皇をからかっているのです。こうした微笑(ほほえ)ましい歌のやりとりから、両者の仲の良さがうかがえます。 舎人親王は天武天皇の九人目に生まれた皇子で、元正太上天皇にとっては叔父に当たります。天平七(七三五)年に亡くなるまで、皇族の重鎮として代々の天皇を支え、養老四(七二〇)年には『日本書紀』を完成に導いた功績でも知られます。そうした高貴な身分にありながら、賞品や賞金によって「心の著(つ)く所無き歌」(意味の通じない歌)を募集するなど(『万葉集』巻十六・三八三八、三八三九番歌)、戯(ざ)れ歌や即興的な歌を好む側面も持ちあわせていたようです。そのような舎人親王の歌の好みが、今回取り上げた歌にもよくあらわれていると言えるでしょう。 (本文 万葉文化館 竹内亮)
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