この歌は、天武天皇の皇子のひとりである弓削皇子が亡くなった時に、置始東人が詠んだ長歌です。「やすみししわご大君」とは天皇への讃美表現ですが、天武天皇の皇子たちにも用いられました。 弓削皇子は天武天皇と大江皇女(おおえのひめみこ)との間に生まれた皇子で、大江皇女は天智天皇の娘であることから、天智天皇の孫にもあたります。 『懐風藻(かいふうそう)』には、持統天皇十(六九六)年に高市皇子(たけちのみこ)が亡くなった際、皇位を継ぐ人物を選定する場で弓削皇子が発言しようとして葛野王(かどののおおきみ)に叱責されたとあります。このとき弓削皇子は、同母の兄である長皇子(ながのみこ)を推薦しようとしたと考えられています。長皇子と弓削皇子は父母ともに皇族であり、皇位を継承するに足る身分であったといえます。しかし、天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子(くさかべのみこ)の子・軽皇子(かるのみこ)が皇位を継ぐことは、すでに内定していたといわれます。翌年には即位し、文武天皇となりました。 弓削皇子が亡くなったのは、文武天皇三(六九九)年のことでした。この歌の作者である置始東人は生没年未詳ですが、同年の難波行幸にも同行して歌を詠んでいます。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
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