重要文化財 旧一乗院宸殿、殿上及び玄関

重要文化財 旧一乗院宸殿、殿上及び玄関

重要文化財 旧一乗院宸殿、殿上及び玄関の修理について

御影堂

 旧一乗院宸殿、殿上及び玄関は、江戸時代(慶安3年(1650年))に再建された建物です。旧一乗院は、興福寺の別当坊のひとつで、大乗院とともに、皇族や摂関家の子弟が入門した格式の高い門跡寺院でした。

 明治時代の廃仏毀釈の後、この建物は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われていました。昭和39年に唐招提寺に移築され、現在は国宝である鑑真和上坐像を祀る御影堂として使用されています。

 この建物は、外観や広縁の形態などから寝殿造の伝統を伝えるとともに、宸殿と殿上がL字型に配置されるなど、他に類を見ない特徴を持っており、建築の歴史を考える上で高い価値があります。

見取り図

 

 修理前の建物は、宸殿部分の屋根に雨漏りが生じていました。また、玄関部分について、昭和39年の移築の際に行った盛土部分の地盤が軟弱であったため、建物の一部が沈み込む「不同沈下(ふどうちんか)」を起こしていました。そのため、建物が傾斜し、扉などの開閉が困難な状況となっていました。

 修理では、主に基礎工事と屋根の葺替え等が行われました。基礎工事では、建物の構造自体には問題がなかったため、建物を解体せずに水平移動させ、基礎工事をやり直してから元の場所に戻す、「曳家(ひきや)」という工法が使われました。

 屋根については、新たな銅板で葺き直しています。それまでの銅板が0.35ミリの厚さで耐久性に問題があったため、耐久性と重量のバランスを考えて、今回は0.4ミリの銅板を使っています。屋根を葺く職人からすると、薄い銅板の方が加工しやすいのですが、熟練の職人により、厚くなった銅板もきれいに葺かれています

 平成29年度から始まった修理工事は、令和3年度に完了しました。美しい姿を取り戻した旧一乗院宸殿、殿上及び玄関(御影堂)は、特別拝観に際して公開されています。

 

 

唐招提寺について

 唐招提寺は唐の高僧、鑑真和上によって天平宝字3年(759)に設立された寺院です。以来1250年以上にわたって歴史的建造物や仏教美術品が多数現存して、我が国の文化の源流を考える上で、非常に重要な施設です。

金堂

 「金堂」は盛唐期の建築様式を伝える上で世界的にも貴重な建物です。堂内には盧舎那仏坐像、千手観音立像など9躯の奈良時代造立の仏像が安置され、全てが国宝に指定されています。


講堂

 「講堂」は当寺創建の最初の建物で、平城京にあった東朝集殿を移築したものです。

 「経蔵」は現存する校倉造りの建物としては最古のもので、創建以前の新田部親王期の倉といわれています。

 「宝蔵」も同じく奈良時代の数少ない遺構で、奈良時代の絹編物などを内部に保管してきた正倉院と同じ役割を果たしてきました。

 「鼓楼」は元は経蔵であった可能性が指摘されていますが、鎌倉時代の二層建築として希少なものです。

 「礼堂」は礼拝施設であり、800年間続く伝統行事、釈迦念仏会の道場です。

 また、唐招提寺は1250年を越える歴史の中で、比較的火災が少なかったことが知られています。特に金堂は、奈良時代の大規模な仏殿木造建築としては、世界で唯一のものであり、幾多の星霜を耐えて護持されてきたことは、当寺の僧侶だけでなく、近隣住民の祖先の協力があったからでしょう。世界に誇れる文化的な建造物があることで、地域で生活を営む上で心の拠り所として、学校等の教育機関でも度々活用されています。

「いかす・なら」HPより抜粋)

 

 

■唐招提寺についてはこちら外部サイトへのリンク(なら旅ネット)