はじめての万葉集

県民だより奈良
2023年3月号

はじめての万葉集
【vol.107】
矢釣山(やつりやま) 木立(こだち)も見(み)えず 降(ふ)りまがふ
雪(ゆき)のさわける 朝楽(あしたたのし)も
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) 巻三 (二六二番歌)
矢釣山の木立も見えぬほどに降りまがう
雪の乱れふる朝は楽しいことよ。
新田部皇子(にいたべのみこ)への献歌

 この歌は、柿本人麻呂が新田部皇子に献(たてまつ)った長歌(二六一番歌)の反歌として『万葉集』巻三に収められています。長歌の方には、「やすみしし わご大王(おほきみ) 高輝(たかて)らす 日(ひ)の皇子(みこ) しきいます 大殿のうへに ひさかたの 天伝(あまづた)ひ来(く)る 白雪(ゆき)じもの 往(ゆ)きかよひつつ いや常世(とこよ)まで」(皇子がいらっしゃる大殿の上に降ってくる雪のようにいつまでも行(ゆ)き通いましょう)とあり、新田部皇子が居住する大殿(皇子宮(みこのみや))において皇子を褒(ほ)め称(たた)えた歌であることがわかります。両歌から、この日は新田部皇子宮のあたりで雪が降っていたとみられます。なお、反歌第四句「雪のさわける」(漢字本文「雪驟」)は「雪にうぐつく」などの異訓もあり、訓(よ)みが定まっていません。
 『日本書紀』などの記述によると、天武天皇には十人の男子がおり、叙位の順番などから、高市(たけち)・草壁(くさかべ)・大津(おおつ)・忍壁(おさかべ)・磯城(しき)・穂積(ほづみ)・長(なが)・弓削(ゆげ)・舎人(とねり)・新田部皇子の順に誕生したとみられています(寺西貞弘『古代天皇制史論』ほか)。出生順については異なる説もありますが、新田部が最年少の男子であることは確実で、初めての叙位年である文武天皇四(七〇〇)年頃に成人したと想定されます。
 新田部の母親は藤原五百重娘(ふじわらのいおえのいらつめ)(藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の娘)で、天武天皇との歌のやりとり(『万葉集』巻二・一〇三、一〇四番歌)から、鎌足が邸宅を構えた大原(現在の明日香村小原(おおはら)付近)の地に五百重娘も居住していたことが知られます。今回取り上げた歌の内容からみて新田部皇子宮からは矢釣山が見えたはずであり、矢釣は大原の北隣に当たる現在の明日香村八釣(やつり)付近と考えられますので、新田部皇子宮は五百重娘の邸宅の近くにあったか、あるいは母子同居していたのかもしれません。
(本文 万葉文化館 竹内亮)

新田部皇子への献歌
万葉ちゃんのつぶやき
竹田遺跡(明日香村)
 八釣集落西側の丘陵部南側にある竹田遺跡の発掘調査では、飛鳥時代後期の大型建物跡が見つかっており、複数の建物が方位を揃えて並んでいたことがわかっています。新田部皇子宮との関連は不明ですが、身分の高い人物の邸宅である可能性が指摘されています。遺跡は埋め戻されており現在見ることはできませんが、調査成果の概要はWEB上で閲覧が可能です。
談山神社

発掘調査時の様子
(写真提供 明日香村教育委員会)

明日香村飛鳥・東山
明日香村文化財課
電話 0744-54-5600
発掘調査の成果など詳しくはこちら
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