飛鳥・藤原を世界遺産に

県民だより奈良
2023年4月号

飛鳥 藤原を世界遺産に
飛鳥 藤原
vol.6
前方後円墳から方墳へ
石舞台古墳(中央)。後方に飛鳥宮跡・藤原宮跡方面を望む(南東から撮影)
石舞台古墳(中央)。後方に飛鳥宮跡・藤原宮跡方面を望む(南東から撮影)
 
前方後円墳の時代
 3世紀から6世紀まで続いた古墳時代は、南は鹿児島県から北は岩手県まで前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳などの古墳が分布し、さらに古墳の周囲に並べられた埴輪(はにわ)や、埋葬施設・副葬品など、日本列島で独自かつ共通の墳墓祭祀(ふんぼさいし)を行っていました。
 百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(5世紀・大阪府)の時期を除いて、奈良県内では箸墓古墳(3世紀・桜井市)から丸山古墳(6世紀・橿原市)まで、時代を代表する巨大な前方後円墳が作られました。この巨大な前方後円墳を頂点に、古墳の大きさや形によって、各地の権力者が序列化されて、後の「日本」の基盤となる政治的・文化的なまとまりが形成されていきました。
石舞台古墳(西から撮影)
石舞台古墳(西から撮影)
方墳築造への変化
 飛鳥が政治の中心となる7世紀、前方後円墳の築造が停止すると同時に、仏教寺院(氏寺)が建立されます。氏寺は、一族の権力を示すモニュメントとなり、祖先祭祀の場として、古墳に置き換わるものでした。
 一方、一部の権力者は自身の墓に新たに方墳を採用します。これは、渡来人や遣隋使からの情報により、中国の皇帝陵の形を参考にしたともいわれます。ただし、横穴式石室や石棺の採用など、内部構造は旧来のものを引き継ぎ、古墳時代以来の墳墓のあり方が残されていました。
 このような古墳の変化は、東アジア交流の影響を受けた政治体制の変化と連動したものでした。
石舞台古墳の石室内部(石室奥から入口へ)
石舞台古墳の石室内部(石室奥から入口へ)
写真提供: 明日香村教育委員会
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
明日香村
 石舞台古墳は、明日香村島庄にある一辺約50mの方墳です。墳丘の上部は失われて横穴式石室の巨大な天井石が露出しており、江戸時代には既に観光名所として知られていました。石室からは石棺の一部とみられる凝灰岩片が出土しています。古墳の築造にあたり、小規模古墳を壊して整地しており、墳丘の巨大さも相まって相当な権力者の墓であったことがわかります。一説には『日本書紀』で桃原墓(ももはらのはか)と呼ばれる蘇我馬子(そがのうまこ)(626年没)の墓であるとされます。
 古墳の形状と埋葬施設が明らかとなっている石舞台古墳は、前方後円墳の次世代の権力者の墳墓の姿をよく伝えています。
『西国三十三所名所図会』(1853年発行)
『西国三十三所名所図会』(1853年発行)
絵図では、墳丘の周溝も埋まり、石舞台の石材周辺まで田畑が広がっていたことが分かります。
明日香村島庄
アクセス 近鉄橿原神宮前駅東口または飛鳥駅より奈良交通バス「石舞台」下車
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