この歌は、七五五年三月三日に大伴家持らが出席した宴席において、古歌の伝誦(でんしょう)を得意としていた大原今城(おおはらのいまき)が詠唱した歌です。題詞には「先太上天皇御製」、割注には「日本根子高瑞日清足姫天皇」という諡号(おくりな)があり、元正天皇が自ら作った歌(御製歌)とわかります。元正は七四八年に亡くなっており、宴席で歌われたのはその七年後となります。 元正は、父の草壁(くさかべ)皇子と母の阿閇(あべ)皇女(元明天皇)の間に生まれた長女です。七一五年に退位した母の元明のあとを継いで即位し、七二四年に甥にあたる首(おびと)親王(聖武天皇)へ譲位、その後は二十年以上にわたり太上天皇として聖武を後見しました。彼女は生涯を通して独身を貫き、子どもをもうけませんでした。その理由として、草壁の直系男孫である聖武を後見する役割を期待されていたために、あえて未婚のまま実子を持たなかったとする説が有力です。 元正は、両親ときょうだいの全員に先立たれています。父の草壁は六八九年に二十八歳で、弟の文武天皇は七〇七年に二十五歳で、母の元明は七二一年に六十一歳で亡くなりました。妹の吉備(きび)内親王は長屋王に嫁ぎましたが、夫のあとを追って七二九年に自害しました。子を持たなかった元正の後半生は、全ての肉親を失った孤独の中にあったと言えます。 ほととぎすは夏の訪れを告げる渡り鳥としてよく知られていますが、「古(いにしへ)に恋ふらむ鳥はほととぎす」(巻二・一一二番歌)という表現にもあるように、過ぎ去った世や亡くなった人への追慕を表象する鳥でもありました。元正がほととぎすの鳴き声の中に聞いた亡き人の名とは、父母弟妹のいずれかの名だったのでしょうか。 (本文 万葉文化館 竹内 亮)
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