飛鳥・藤原を世界遺産に

県民だより奈良
2023年6月号

飛鳥 藤原を世界遺産に
飛鳥 藤原
Vol.7
八角墳と火葬
牽牛子塚古墳から高松塚古墳方面への眺め
整備された牽牛子塚古墳から高松塚古墳方面への眺め
 
八角墳の創出
 古墳時代(3〜6世紀)を通して続いた前方後円墳の造営は、7世紀に入り、方墳造営へ移行しました。飛鳥地域では石舞台古墳(明日香村)や菖蒲池(しょうぶいけ)古墳(橿原市)が知られており、これらはまだ横穴式石室や家形石棺など古墳時代の形式をとどめていました。
 その後、乙巳(いっし)の変(645年)にはじまる一連の政治改革「大化の改新」では、薄葬令(はくそうれい)により、墳墓や墓室規模が規制されました。さらに、天皇を頂点とする中央集権体制の確立に向けて、最上位の墳墓として新たに日本独自の八角墳が生み出されました。八角形の墳丘を凝灰岩の貼石で化粧した墳墓です。飛鳥では、牽牛子塚(けんごしづか)古墳、天武・持統天皇陵古墳、中尾山(なかおやま)古墳があります。
牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳の発掘調査八角形の墳形が明らかになりました
(写真提供:明日香村教育委員会)
火葬の導入と古墳の終焉
  古墳時代からの葬送儀礼にも大きな変化が見られます。仏教とともに伝わった火葬の導入です。それまでの身体を納める棺から、火葬骨を納める骨蔵器(こつぞうき)(骨壺)を石室へ納めるようになりました。歴史上、初めて火葬された天皇は持統天皇とされており、鎌倉時代の状況を記した『阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)』には、天武・持統天皇陵古墳の石室の中に、棺と金属製の壺が併置されていたとされます。また、中尾山古墳は骨蔵器だけを納めることを前提とした小さい石室となっています。
 この中尾山古墳が八角墳の最後の造営となりました。平城京へ遷都後の天皇陵は、唐に倣(なら)い、山を墳丘に見立てる山陵形式となり、古墳時代から続いた墳墓の造営が終了しました。
石舞台古墳の石室内部(石室奥から入口へ)
中尾山古墳の発掘調査
八角形の墳形と特異な墳丘構造が明らかになりました(写真提供:明日香村教育委員会)

※両方とも発掘調査終了後、現在は埋め戻されています
中尾山古墳
明日香村
 中尾山古墳は明日香村平田にある墳墓です。壁画古墳として著名な高松塚古墳の北側に位置します。令和2年の発掘調査では、小型の石室を備えた八角墳であることを確認しています。最上位に位置づけられる八角墳と、火葬で単独埋葬されているという条件から、文武天皇の陵である可能性が指摘されています。墳丘は一段目、二段目が基壇状の石積み、三段目を土盛りとする特異な形であり、火葬と合わせて仏教的要素が濃いものとみられます。
 古墳時代より続いてきた墳墓の最終段階の姿です。
『西国三十三所名所図会』(1853年発行)
中尾山古墳の石室
(写真提供:明日香村教育委員会)
「飛鳥・藤原」の紹介動画
URL youtu.be/dEs_fbBoc9U
明日香村平田
アクセス 飛鳥駅より東へ800m
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