この歌は秋の雑歌(ぞうか)に収められている、「安貴王の歌」と題された一首です。安貴王は志貴皇子の孫で、天智天皇の曾孫にあたります。『万葉集』に四首の歌が残されており、この歌以外の三首は特定の女性に向けて詠まれた歌です。 今回の歌には「妹(いも)」など恋人を示す語は含まれないものの、「手本」「寒しも」はいずれも恋の歌に用いられる言葉です。手本は「まく(枕にする)」という例が多く、腕枕の描写に用いられます。「寒しも」も、恋人が不在であることと呼応して用いられる語です。今回の歌が雑歌に収められているのは、夜明けの秋風の涼しさに主眼があるためとみられますが、歌を詠んだ背景には恋人の不在があったのかもしれません。 さて、安貴王をめぐっては、『万葉集』に二人の女性が記されています。一人は紀女郎(きのいらつめ)で「鹿人大夫(かひとのまへつきみ)の女(むすめ)、名を小鹿(をしか)といへり。安貴王の妻なり」との注が題詞にあります(巻四・六四三番歌)。安貴王の「伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家(いへ)づとにせむ(伊勢の海の沖の白波は花であってほしい。包んで妹のみやげにしよう。/巻三・三〇六番歌)」に詠まれている「妹」(妻)は、紀女郎のことと考えられています。 もう一人の女性が八上采女(やかみのうねめ)です。相聞の歌ばかりを収めた巻四に安貴王唯一の長歌・反歌があります。左注に、因幡(いなば)の八上采女を妻として愛する気持ちが盛んだったが、勅命によって不敬罪が定まり、故郷に退却させられたので、悲しみのあまり歌を作った、とあります。その時の歌「敷たへの手枕(たまくら)まかず間(あひだ)置きて年そ経にける逢はなく思へば(五三五番歌)」では、手枕を交わさず離ればなれで年が経ってしまったと嘆いており、手本の寂しさは今回の歌と通じるところがあります。 今回の歌の事情は不明ですが、恋心のにじむ秋の雑歌として読むことで、夜明けの秋風に涼しさと寂しさの重なりが感じられます。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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