この歌は「石上乙麻呂朝臣(あそみ)の歌一首」と題された一首です。通常は「石上朝臣乙麻呂」のように氏・姓・名の順で記すところ、ここでは姓の「朝臣」を後にすることで敬意を示す書き方が採られています。「朝臣」という姓は立派な家柄を表し、天皇の子孫に与えられた「真人(まひと)」に次ぐ位置づけです。乙麻呂の父は物部連麻呂(もののべのむらじまろ)という人物でしたが、天武天皇の時代に氏・姓が変わり石上朝臣麻呂になりました。非常に高い地位まで上り詰めた高官で、その子である乙麻呂もさまざまな経歴を経て昇進しています。亡くなる前年の天平勝宝元(七四九)年には中納言にまで上りました。 ただ、乙麻呂の人生は好調な時ばかりではなかったようです。天平十一(七三九)年三月には女性問題で土佐へ配流されたことが、『続日本紀』や『万葉集』(巻六・一〇一九~一〇二三)に記されています。久米若売(くめのわかめ)という女性に密通したことが原因で、若売も下総に流されました。乙麻呂がいつ帰京したのか記録にありませんが、その後の任官からみて数年で許されたものと考えられます。密通事件と今回の歌との前後関係が気になりますが、巻三の配列から、事件で流される六年以上前の歌と考えられます。 今回の歌にある「笠の山」は、奈良市にある春日山の西峰、御蓋山(みかさやま)を指すとみられます。この歌の前に山部赤人が春日野に登って詠んだ御蓋山の歌(巻三・三七二~三七三番歌)があり、関連する可能性が指摘されています。 この歌の「笠」は山の名だけでなく好きな女性を重ね、雨は切ない恋心を意味していると考えられます。他の人がどんなに辛い恋をしても、そちらに寄っていかないでくれ、と歌います。この歌は「雑歌(ぞうか)」に収められており、純粋な恋の歌(「相聞(そうもん)」)とは見なされていません。「笠の山」を題材に、たとえを用いて詠んだものですが、内心には思い浮かべる女性がいたのかもしれませんね。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
左右対称のなだらかな笠の形をした御蓋山は、春日大社本殿東側に位置する標高293mの山です。古くから神山として崇敬の対象となっており、春日大神様の御神域を守るため、現在まで原生林として保たれています。また、春日大社の創建神話の舞台としても知られています。
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