2024年10月号
橘寺(現奈良県高市郡明日香村に所在)は、聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのみこ))の創建とされ、聖徳太子建立七大寺の一つと伝えられていますが、創建年代は不詳です。長屋は細長い建物のことですが、ここでは僧坊のことを指します。後述する左注にあるように、俗世間の人が寝る場所ではありませんでした。そのため、あえて逢い引きに利用したのでしょうか。 「うない」は「頸居(うない)」であり、お下げ髪のことです。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には「髫髪和名宇奈井(うなゐ)、俗に垂髪の二字を用ふ。童子の髪を垂るるを謂ふなり」とあります。七、八歳の少女の髪形でした。また、「はなり」は振り分けたお下げ髪のことで、こちらも少女の髪形でした。巻七(一二四四番歌)には「娘子(をとめ)らが放(はな)りの髪を木綿(ゆふ)の山雲なたなびき家のあたり見む」とあり、少女が垂らした髪を結(ゆ)う様子が詠まれています。 「髪上げ」は、長くなった髪を束ねて結い上げることです。髪を上げることは成人女性となったことを意味し、結婚可能な年齢に達したこと、あるいは結婚する意味にも用いられました。 本歌には左注が付いており、「右の歌は、椎野連長年脈(しいののむらじながとしみ)て曰はく「それ寺家の屋は俗人の寝る処にあらず。また若冠(じゃっかん)の女を称(い)ひて、『放髪丱(うないはなり)』といふ。然らば腹句已(ふくくすで)に『放髪丱』といへれば、尾句(びく)に重ねて著冠(ちゃくかん)の辞を云ふべからざるか」といへり」とあります。 椎野長年が診察していうには「そもそも寺の長屋は俗人の寝る所ではない。また、成人したばかりの女を『放髪丱』という。よって、第四句に『放髪丱』といっているのだから、末句に重ねて成人したことを示すことばを使うべきではない」と批判が加えられています。 作者がかつて想いを寄せていた少女について詠まれているということは、作者と少女の音信も途絶えてしまっているのでしょうか。 (本文 万葉文化館 中本和)
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