この歌は、人の噂が激しいので故郷の明日香川に「みそぎ」をしに行く、と詠んだ歌です。 『万葉集』はまだ平仮名や片仮名がなかった時代の歌集であり、すべて漢字で書き記されていました。この歌では、ミソギを「潔身」と記しますが、一般的には「禊」と書き、身についた穢(けが)れを水の霊力で除去しようとして行う呪的な行為を指すと考えられています。『古事記』には、黄泉の国から戻ったイザナキが日向の橘の小門の阿波岐原(あわきがはら)で「禊祓(みそぎはらえ)」を行ったとあり、本来は別の言葉であった「禊」と「祓」とが、すでに混同されていたことが指摘されています。 古代には明日香川のどこかで「禊」が行われていたようです。 作者の八代女王は、『続日本紀』には「矢代女王」とあり、天平九(七三七)年二月に無位から正五位に叙されたこと、天平宝字二(七五八)年十二月に「先帝」に寵愛を受けながら、天皇亡きあとに心変わりして従四位下の位記を破棄されたこと、などが記されています。 同年八月に淳仁天皇が即位していることから、この時点の「先帝」とは女性である孝謙天皇になりますが、ここはさらに前の聖武天皇(在位七二四~七四九年)を指したと考えられます。 「潔身」が必要なほどの激しい噂にさらされたのも、後に位を剥奪されたのも、聖武天皇の寵愛を一身に受けていたことに対する周囲からの嫉妬によるものだったのではないか、ともいわれています。 この歌には「一尾云」と注が付され、「龍田超え 三津の浜辺に 潔身しにゆく」という歌もあったことが紹介されています。地名を入れ替えた似た表現の歌が伝わるのは、恋の常とう表現だったからだと考えられています。 (万葉文化館 井上さやか)
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