
2025年10月号
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Vol.21
壮大な都市計画と「日本」のはじまり
673年に即位した天武天皇は、緊迫する国際情勢を受け、「律令」(「律」は刑法、「令」は行政法・民法のこと)の制定をはじめとした強い国づくりを志し、当時の中国にならった新たな宮都(きゅうと)の造営を進めました。
天武天皇の没後、皇后だった鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が持統天皇として即位し、宮都の造営を引き継ぎました。
長い年月を経て試行錯誤された末、694年に日本初の本格的な宮都「藤原京」が完成し、天皇を中心とした国家を営むための舞台が整いました。701年には「律」と「令」が編纂(さん)された大宝律令が発布され、ついに中央集権体制に基づく国家が確立したのです。
「日本」という国号は、この新たな宮都の成立を機に用いられるようになりました。
藤原宮跡

▲大極殿跡の南側一面に植栽されたコスモスは、例年10月上旬~下旬※に見頃を迎えます。
※気候により前後することがあります。

(南側から撮影)
約5km四方という壮大な都の中央には約1km四方の「藤原宮」が造られ、天皇の宮殿に政治・行政機能を持つ役所が集められました。
所
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橿原市高殿町 ほか |
アクセス
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近鉄大和八木駅より橿原市コミュニティバス「橿原市藤原京資料室前」下車すぐ |
世界遺産「飛鳥・藤原」
登録推進協議会
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