この歌の「真赤土」とは、硫化水銀のこととみられます。「大和なる宇陀の真赤土」と表現されているように、宇陀は「真赤土」の産地として知られていました。 歌に「赤土」「丹」とあるとおり、硫化水銀は赤色の鉱石ですが、そこから採れる水銀は銀色です。水銀は常温で凝固しない唯一の鉱物であり、その不思議な銀色の液体は、不老不死の仙薬の原料と信じられ珍重されました。隋・唐代の辰州(現在の湖南省あたり)で多く産出されたことから「辰砂(しんしゃ)」とも呼ばれるようになったといいます。現代では水銀が猛毒であることは周知されていますが、古代においては、漢方薬や顔料、防腐剤などとして広く利用され、産出地に莫大な富をもたらしたそうです。 この歌が収められた『万葉集』巻七は、作者も作歌年代も明記されていない歌巻です。思いを物にたとえる歌を集めた「譬喩歌(ひゆか)」という部立てのなかの「赤土(はに)に寄せたる」と題された一首であり、世の人が言い立てるだろうか、と激しく噂されることを恐れるような歌であることがみてとれます。 古代日本の恋愛や結婚においては、男性が女性のもとへ密かに通い思いを交わすことがマナーであったようなのですが、本歌はむしろ宇陀に恋人がいることを表明した歌といえるのかもしれません。 この歌は作者も詠まれた時代もはっきりとはわかりませんが、旅の記念にその地の名物を衣に着けようと詠んだ例に「白波(しらなみ)の千重(ちへ)に来寄(きよ)する住吉(すみのえ)の岸の黄土(はにふ)ににほひて行かな」(巻六・九三二)などがあり、奈良時代に活動した車持千年(くるまもちのちとせ)の作であることから、同時期の歌であった可能性も考えられます。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
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