~トレードマークは元気印!
悩んだ時はいつも初心にかえ
ります。 それは「子育てママ
を応援したい」という気持ち~ |
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子育て支援応援団「Salon de kid's ネット」代表
矢田紫真子さん
(天理市在住) |
1人で育児に悩む毎日。
参加した育児教室の講師の『あなたがサークルをつくったら?』の言葉から私のチャレンジが始まりました。
-初めて知った“夜中の赤ちゃん”-
北海道生まれの私が、婚約した夫のいる奈良県へやってきたのは21歳のとき。まさに愛の力!(笑)それまで児童福祉施設で保育士として働いていた経験を活かせる職場を探したのですが、求人がなかったり面接を受けても就職にはつながらなかったり。それでもめげずにハローワークへ3日と空けずに通い職員の方にも顔を覚えられるほどでした。ある時保育所からの求人が来たところへ偶然居合わせ、面接を受け働くことに。
結婚後27歳で妊娠し、体調を考え出産に専念するため退職。出産後は夜泣きで2時間毎に起きる毎日でした。保育所で働いている時には経験しなかった“夜中の赤ちゃん”を初めて知ったのです。
保育士として持っていた理想の子育てと現実の自分とのギャップに悶々とする日々。夫に打ち明けても「子育ては多くの人が経験している。君にだってできるはず」との言葉。他に相談できる人はなく、当時はこの辛さの一因は孤独にもあるのだということにも気付いていませんでした。
ある日、何気なくかけられた「よく泣く元気な赤ちゃんね」という言葉に、当時の私は敏感に反応してしまい、夜中に泣き出した子どもをベランダであやしながら、「この子は夜泣きする子なのよ!」と大声をあげて泣いてしまいました。
-きっかけは、育児教室での一言から-
夫もようやく状況を理解してくれ、動悸やめまいが続いていたことから、まずは病院へ行くことに。すると甲状腺機能が少し低下しているとのこと。日々のストレスが自分の身体にまで負担をかけていたことに気づき、今の状況を少しでも変えたいとの思いから、市主催の6回コースの育児教室に参加しました。
育児教室は私にとって楽しい時間でした。修了が近づいたころ、講師に他にもこんな場所はありませんかと尋ねたところ、「あなたが子育てサークルをつくったら?」との思いがけない返事。でも数秒後には「私もやれるかな」と、がぜん道産子の血が騒ぎました。(笑)
同じ母親学級だった人などに声をかけいざ開始・・といってもまずは場所探しです。地域の公民館に「子育てサークルに貸すと汚れるから」と断られたのですが、ここでもめげず、「地域の母親を助けるのも自治会の重要な仕事です」と自治会長に直談判。すると「よっしゃ。その熱意をかった」と月に2回、無料で貸してくれることに。
こうして、手遊びや工作などの保育メニューを考えて材料を準備し、車に荷物を積んで公民館へ通う日々が始まりました。最初は10組だった親子が約20組になる頃には、子どもの夜泣きが気にならなくなっていました。
-夫のアドバイスと1通のメールで、元気印が復活-
子育てサークルを拡げ、充実した日々を送っていた頃、「家を放っておいて出歩いている」という心ない噂を耳にしました。ショックでかなり気持ちがへこみました。そんな私に夫は「誰のため、何のためのサークル?噂を流す人に気に入られるため?」と言い、その言葉にハッとしました。
「そうだ、子どもとお母さんに色々な経験をしてもらいたいと始めたんだ」「親子が笑顔で帰ってくれることが自分にとっても一番の喜び」と改めて気づきました。
そしてそこへ1通のメールが。「教えてもらった手遊びを子どもが気に入って家でも遊んでいます。初めてでしたが私自身もサークルに行ってよかった」という内容でした。偶然とはいえ励ますように届いたこのメールが私を再び元気にしてくれました。
-活動の幅を拡げて-
2004年、奈良県子育て家庭サポートセンターでの子育て支援コーディネーターの研修を受け、地域ネットワークの知識や大切さを学ぶことができました。そこで得た熱い思いを天理に持ちかえり子育てサークルネットワークを立ち上げ、出前保育の子育て支援サークル「くれよん」へとつながりました。
今までは、公共の場を使っての子育て支援サークルを開いてきたのですが、よりお母さんも子どももほっとできる“場”が作れればと考えていた時、子育てカフェをしたいという西尾恵美さんと出会いました。彼女が自宅を提供してくれ、さらに保育士の資格をもつ林恵子さんの3人が揃い、カフェ形式の子育てサロン「Salon de kid's」が一気に実現しました。
活動の幅が拡がれば、ぶつかる壁も大きくなりますが、その時は初心にかえってチャレンジを続けていきたいと思っています。
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矢田さんから女性へのチャレンジメッセージ |
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