最優秀賞

 いじめ~終わらない戦い~

                     智辯学園奈良カレッジ中学部 1年 山本 陽菜

 おはよう。それはいつも皆が普通に使う言葉。さようなら、また明日なども同様である。この何気ないあいさつが消えてしまうと「一人ぼっち」というあってはならない状態におちいる。先が見えないまっ暗な世界で、たった一人戦わなくちゃいけないからだ。
 私もその一人に入るかもしれない。小学一年生の時、まだ小さかったからいじめにはならないかもしれないが、悪口を言われたり、仲間外れも何度かされた。その時は本当につらかった。遊ぶことも当時はすごく嫌だった。休み時間に一緒に遊ぶ子も限られ、面白くなかった。しかし、そんな状態だった私を救ってくれたのは、家族、特に母だった。毎日相談に乗ってくれた。「今日はどうやった?」「なんかされた?」など、色々聞いてくれた。「そうかそうか。」とうなずいて聞いてくれた。私はその言葉がうれしかった。「味方がいる。」そう思えたからだ。
このような出来事から、私はこう考えた。いじめられて困っている時、助けてくれるのは、家族や友達だった。だから、何事にも相談相手の存在が重要になってくる。つらいこと、悲しいことを一人で抱えこむのは、やはりよくない。今自分がされていることを遠慮なく言えて共感してくれる、また全て受け入れてくれる。このような存在が必ずすぐそばに居る。このことを忘れてはいけないと思う。一人で解決することなど不可能に近い。
 助けなきゃと思ってくれている子の中に、人の悪口や嫌味で友達を作るような子はほとんどいない。悪口で友達を作る子の中には、思いやりの心や、人を笑わせる技術を備えている人だっている。しかし、友達を「助ける」には、「本当の優しさ」というものを持っていないといけない気がする。表面上で優しくても、心は?と聞かれてすっと返答がこなければ意味がない。いじめられる側は、誰にも相談しない人が多いかもしれないが、誰かに頼るのも悪くないと思う。
 最近、いじめの被害に合って自殺するという事件が少なくない。どうしてここまでエスカレートしてしまったのか。対処法はなかったのか。何故周りの人は助けようとしなかったのか。私は不思議で仕方がない。私は、自分がいじめられてもいいから、その子を助けたい。必ずそう思う。では逆に、「じゃま、こっちこないで。」という暴言をはくのは何故か。つまり、いじめの原因はなんなのか考えてみた。それは、いじめる側が相手のどこかに嫉妬心を抱いているからではないかと思う。言葉では嫌な事を言ってしまうが、自分の気持ちは、「あの子のここが腹立つ。」そういうものなんじゃないかと思う。では、今後、先ほど言ったような気持ちになったら、どうすればよいのか。私は、「あの子のここが腹立つ。ううん、腹立つんじゃなくて、うらやましいって思っているだけなんだ。」と自分で心の中の気持ちを整理してみればいいと思う。うらやましいという感情を通りすぎてしまうと、嫉妬になってしまう。だから、自分が思っていることを制御しないといけないと思う。
 ここまでで、「これは大切!」というものが三つある。一つ目が、家族や友達を大切にするということ。二つ目が誰かに頼ること。最後の三つ目が、嫉妬するのではなく、うらやましく思うことだ。最初の二つはあたりまえのことを言っただけだ。しかし、そのあたりまえのことをこなすのがまた難しい。人と人があたりまえのことが出来なくて対立する時、いじめは生まれる。お互いに相手の気持ちが分からないとつらい、そのもやもやを他人で発散するのは絶対に間違っている。だから、今でもまだ、いじめは続いている。人の心は意外とせん細で傷つきやすい。「どちらかの心がやわらかければ、平和に終わる」とCMの言葉にあるが、本当にそうだと思う。だから、今も戦い続けている人に、あきらめないでという言葉を送りたい。