優秀賞

 「日本を変える」

                    智辯学園奈良カレッジ中学部 2年 北川 華

 大人は、
「信号をきちんと守りなさい。」
と言います。
「お年寄りには親切にしましょう。」
と言います。でも、私がよく目にするのは信号を無視したり困っているお年寄りがいるのに見て見ぬふりをしたりする大人です。
「信号は無視しても良いものですか。」
と聞くと、大人は口をそろえて
「いいえ。」
と答えるだろうし、
「お年寄りとどう接するべきですか。」
と問うと
「親切に・・」
「思いやりの心を持って・・」
などと主張するでしょう。口先では何とでも言えます。重要なのは実際に行動できるかですが、多くの大人が行動に移すことをできていないと感じます。それなのに、ニュースで少年犯罪やいじめについて取り上げられていると
「これだから最近の若者は・・」
と言います。理不尽だと思います。
 一方、
「子供は大人を見て育ちます。大人がそんなだから少年犯罪が増えてきているのです。」と主張する人がいます。これは、全て大人が悪いというように聞こえます。しかし、私は、大人は原因の一部分に過ぎず、それを言い訳に自己弁護をする子供に一番の原因があると考えます。このままでは、子供達は大人になっても言い訳し続けるでしょう。将来の子供達も親を見て言い訳することを覚えてしまうとすると、これが永久に繰り返され続けられることは目に見えています。
 では、このような状況をどう改善していけば良いのでしょうか。私は子供が「周囲に流されない人間」になることが重要だと思います。他人に流されずに一度よく考えてから行動するようになることができれば、少年犯罪も減らすことができるのではないでしょうか。また、それに大人の協力は不可欠だと思います。子供が大人の良くない行動に影響されるのを防ぐことと「自分だけでなく大人もやっている」という言い訳を使えなくすることができるからです。
私はどちらかと言えば自分の意見を主張するのが苦手です。多数決でも過半数の人が支持する意見に手を挙げたくなります。でも、自分が動かなければ何も変わらないのです。
先日、ショッピングモールへ行ったとき、三歳くらいの女の子が迷子になっていました。今にも泣き出しそうな顔をしてきょろきょろと周りを見渡していました。周りの人はその女の子に気付かないふりをして素通りして行きます。声をかけてみようか、インフォメーションセンターへ連れて行こうか、色々と頭の中で考え込んでいると、一組の親子が女の子にかけ寄って行きました。ああ、良かった、と私はほっと胸をなで下ろしましたが、女の子からすると、私も「見て見ぬふりをした人々」の一員であることに気付きました。実際に行動しなかったのだから当たり前です。私は周囲に流されたのです。
 四年後の二〇二〇年、東京オリンピックが開催されます。世界中の目が日本に向くのはもちろん、日本の「おもてなし」は好評なので、多くの期待が寄せられるでしょう。自分に甘く、信号を無視する人、困っている子供やお年寄りを見て見ぬふりをする人を見て、外国人はどう思うでしょうか。理不尽な大人と周囲に流されてばかりの子供を見られて、期待してくれた人に申し訳なくはないですか。大人も子供も変わらなければなりません。オリンピックのためだけでなく、今後の日本をより良くするためでもあります。
 周囲に流されず、自分の信じる考えに従って行動する勇気を持ってください。一人ひとりの行動で、日本は絶えず変化し続けていきます。