優良賞

 「大人へのジャンプ」

                     智辯学園中学校 1年 押部 葵

 日頃から、父には感謝しています。登校時には駅まで送ってもらっているし、家族のために夜遅くまで働いてくれています。父がいなければ今よりももっと早く家を出発しなければならないし、生活が苦しくなるかもしれません。だから、感謝の気持ちは持っているはずです。でも、最近、なぜか私は父とあまり話をしません。私は、何か聞かれても、必要以上の事は答えません。父が話しているのを聞いている時も、不機嫌になってしまいます。自分でも相手に失礼な態度をとっていることは分かっているのですが、いつの間にか、態度が前に出てしまっているのです。まるで、自分が何か違う人に変わってしまったかのようです。
 私は、このもやもやとした気持ちに気づいて、母に相談してみました。すると、
「反抗期やな。」
と教えてくれました。今まで意識しなかったことでしたが、私はなぜ母がすぐに反抗期だと分かったのか不思議でした。
 母は、
「みんなあることやし、知らんうちになおるわ。」と、さほど騒ぐこともありませんでした。
母は、中学生位の時から反抗期だったそうです。母の母、つまり私の祖母に少しですが、口答えをしていたそうです。その時、母は、とてもイライラしていて、それを祖母にぶつけていたと言っていました。母にも反抗期があったなんて、いつも優しい母からは想像できません。今では、母と祖母は仲が良く、会うと、とても楽しそうにしています。
 姉が反抗期だったときには私も気づいていました。父と姉の間に雷が落ちるんじゃないかと思うほどでした。でも、その期間は短かったです。私は内心ほっとしていました。今では父と姉は普通に話しています。時々、父と姉は学校のことや勉強の事を話し合ったりしています。
 反抗期が子供と大人の境目にあるハードルだとしたら ― 私はまさにそのハードルの前にいます。普通、ハードル走をしようと思ったら、助走をつけなければなりません。低いハードルだったら助走はつけなくても良いでしょう。でも、今、目の前にあるハードルはとても高いものです。助走は十分な距離を取らなければなりません。どのようにして助走をつければ良いのでしょうか。
 自分でも、このハードルを越えられないこと、それが原因で、父に失礼な態度をとってしまうことを良いとは思っていません。それに、そのことがとても悔しくて、無理やりハードルを越えようとする時もあります。しかし、今は越えなくても良いんじゃないか、今はまだ越えたくない、とも思ってしまうのです。父に甘えていることが分かっていても、なかなか素直にはなれないのです。
 でも、素直になることが、ハードルを「飛び越える」一番の方法なのです。以前のように、素直に「ありがとう」が言えれば、このハードルを越えられるかもしれません。
今の私に、本当にそれができるのか、不安でいっぱいですが、助走をつけていくのにはまだ遅くないと思います。一番してはいけないことは、この助走を途中でやめて、足を止めてしまうことだと思うのです。ここで止めてしまったら、父との関係はより悪いものになってしまうかもしれません。それは、絶対に嫌だし、そんな自分にはなりたくありません。なので、私は最近、少し口調に気をつけたり、父がおみやげを買ってきてくれた時には、「ありがとう」と言ったりしています。小さなことだけれど、助走がついてきました。
 今、私はどんどんハードルに近づいています。